大学は、もっと独自の視点での交流プログラムを

現場から聞こえる悲鳴

最近、あちこちの大学関係者から聞こえてくることで気になっていることがあります。

G30に始まり、グローバル人材育成支援事業、大学の世界展開力強化事業などの文科省による一連の大学の国際化・グローバル化支援事業は大学にとって大きな財政支援策となっていますが、じつは、その支援を受けることになった大学の一部からは悲鳴が聞こえてきているのです。

文科省から要求されていることは、かなりレベルの高いことが多く、これに呼応できる大学は限られているのではないかと感じました。

いくつかの大学では、申請書類を書く人が学内には見つからず、外部のシンクタンクやコンサルに書類作成を依頼して、採用になっています。

大学の実態とはかけ離れた、背伸びをした計画で申請して、採用が決まった場合、困るのは大学自体、大学の現場の教職員であるわけです。

具体的には、「そんな英語力がある学生は、ごくわずかしかいない」「そもそも、一定期間、海外に行こうという学生がほとんどいない」という声を複数の大学から聞きますし、シンクタンクやコンサルに実施まで投げてしまいたいという大学もあるわけです。

文科省の意図は、少しでも学生の交流のレベルを上げたい、そのためには財政支援を強化したい、ということなのですが、それに見合った学生や事業を抱える大学が必ずしも多くはない、ということなのです。

では、どうすればいいのか

これへの対応策はなかなか難しいです。

ひとつには、学生の語学も含めた国際的対応力を大学入学以前から高めることですが、それは、必ずしも大学の問題ではなく、初中等教育段階での課題であるわけです。

OECD諸国中、最低の部類に属する日本の教育予算で、それをしろというのも酷な話で、まずは、上述の諸事業のような国際化・グローバル化の強化策の事業に乗るような児童・生徒・学生をつくっていくことから始めなければならないのだと考えます。

高等教育段階で、急に強化しようとしても、慌ててメッキをしたり、ペンキを塗ったりするのに似て、すぐに表面が剥げ落ちて、地が出てしまうのがオチではないでしょうか。

もちろん、まったく無駄だと言うつもりはさらさらありませんが、より効果を上げる方法を考える必要はあります。

大学では、背伸びをせずに、実態に合った、しかも、学生の力を少しずつ強化する教育プログラムが必要ですから、あまりに高過ぎる目標を掲げるのは自制すべきでしょう。

文科省も、実態からかけ離れた計画の応募を、より現実的なレベルに抑えて、少しずつ、引き上げていく方法を考えなければならないかと思います。

ただ、予算の性質上、5年間などの時限的な財政支援期間ですと、どうしても中長期的視点を持たせるのが難しいことも確かです。

悩ましい問題ではあります。

しかし、貴重な国民の税金でまかなう事業ですので、知恵を寄せ合い、より効果的な支援事業を考える必要があることは確かです。