8月になると、広島・長崎、そして敗戦特集が。
毎年のことですが、この季節には、新聞やテレビで広島・長崎の原爆投下、敗戦特集が多く組まれ、私たちは常に戦争に思いを致すことがならわしとなっています。
次第に風化してくる戦争の記憶に、しかし、ときには新たな事実が付け加えられます。
昨夜、NHKテレビで広島・長崎への米軍機の原爆投下について事前に察知し、司令部に報告したにもかかわらず、軍はそれを無視し、空襲警報も発令されなかったという衝撃的な証言が放映されました。
ここでこの事実について云々するスペースはないのですが、しかし、いったい人間というものは、どこまで愚かになれるのでしょうか。どうしたら、その愚かさから救われるのでしょうか。
戦争をすること自体、愚かなことに違いありませんが、人類の歴史を振り返れば、まさにその愚かなことの繰り返しであったとも言えるわけです。
そして、それは今日もまったく変わることなく、世界のあちこちで現に進行しています。今のこの瞬間にも人間の生命が人間によって次々と失われているのです。
これを多少なりともマシな方向にもっていけるとしたら、やはり、より広い視野をもち、より柔軟な思考ができる次世代を育てていくしかないと、私はいつも考えます。
血で血を洗う繰り返しから脱するためにも、憎しみを憎しみで増幅しないためにも、冷静な判断ができる若い世代を世界中で育んでいくことしか、わずかながらも人類が賢くなっていく方法はないのではないかと思います。
そのために、若いときに国境を越えて、世界を見て、より多くの人たち同士が友人・知人になることは、とくに大切だと信じます。
その目的を達成するための重要な手段として、国際教育交流があるのです。