反グローバリゼーションと留学生受け入れの厳格化

去る6月22日にノルウェーオスロで起きた大量殺人は、欧州ばかりか、世界のグローバリゼーションを、ちょっと待てよ、と立ち止まらせたかと思われます。

経済の停滞、高い失業率、北アフリカ、アラブ、アジアを始めとする途上国からの移民の流入といった社会背景は、欧州を保護貿易へと傾かせ、移民への反感や反対運動、反イスラムの動きを加速させていましたから、オスロの大量殺人事件は欧州のもつ悩みの表出の一つの象徴であったとも言えるわけです。

独・英・仏の政治指導者たちが揃って、ほぼ時期を同じくして、「多文化主義」の失敗、「多文化主義」への疑念を表明したことは、じつは、欧州の言う「多文化主義」が、異文化を受け入れることではなくて他の民族を自らの文化に同化させようとしていたことの失敗と受け止めるのが適切かと考えます。

人々の固有の宗教・文化・生活習慣などがそう簡単に変わるものではないことを皮肉にも証明してしまった、とも言えます。

しかし、どうでしょう。人口減少と経済規模の維持を共存させるためには、外国人労働者や移民を受け入れ、国内での生産性を落とさないことが必要と考えて、政策的に今日に状態にしてきたわけですから、その意味では政策の失敗でもあるわけです。人口が減っても、経済水準ではなく規模を維持しようと考えるのが、人間の習性であるようです。

留学生の受け入れの観点では、欧州では、英国がまっ先に外国人学生の査証審査を厳格化しています。留学生受け入れを重要な産業の一つと自覚する英国の教育業界は、こんなに厳しい入国審査をされては留学生は減り、教育機関に失業者を大量発生させると不服を表明しています。

近年の「グローバリゼーション」は、「ヒト」の移動を次第に自由にしてきましたが、留学生受け入れの厳格化は、それへの逆行でもあるのです。

かといって、「ヒト」以外にも、「カネ」や「モノ」、または「情報」などの流れは押しとどめようもなく、いわば「反グローバリゼーション」は、今さら、簡単には実施できないことも明白です。

そして、欧州で起きていることは、アジアでも同様に起き得ると言って間違いはないでしょう。日本でも、今は、教育機関の連携や就職支援により、留学生を受け入れる体制の強化に取り組んでいますが、じつは、3.11の影響で留学生が減るという以前に、さらに広域的に、より複雑な背景と深刻な要素をはらんで、アジアでも今後、「反グローバリゼーション」の動きがが起きる恐れもあるのです。

それに備えて、国際教育交流に関わる者は、より具体的な対応策を考え、実行しなければならないと考えますが、たはして、今後、日本にその態勢が取れるようになるのか、やや心許ないのは私だけでしょうか。