ガラパゴスでもよかった時代は終わった。

このところの暑さで脳みそが半分溶けてしまい、2日ほどブログをお休みいたしましたm(__)m 早いところベトナムに避暑に行きたいと願っています。(そう言えば、昨夏もシンガポールに避暑に行きましたっけ。実際、東京より過ごしやすいのです。)

ガラパゴス化」と言えば、日本の携帯電話、カーナビ、かつてのNECのPC-9800シリーズといった、日本国内で独自の「進化」を遂げた、主にIT製品を思い浮かべます。しかし、これらも急速に世界標準化の流れに合わせざるを得なくなり、携帯はiPhoneの急激な浸透に押され、カーナビも欧州タイプの安価なモデルに脅かされ、PC-9800シリーズは、1997年には製造を中止せざるを得なったことはご承知のとおりです。

考えてみれば、ガラパゴス諸島は、大陸から遠く海で隔たっていたために、その生物の独自の進化を許したわけで、もし、大陸との交渉があれば、その生物の進化の過程も大きく異なっていたことでしょう。日本は、江戸時代に200年以上にわたって鎖国した歴史がありますが、今日は、まがりなりにも開国して140年ほどは経っています。したがって、日本国内でのみ通じるシステムを懸命につくるという考えを理解しにくいのですが、現実はご覧のとおりです。

そして、こうした「ガラパゴス・シンドローム」が、世界で他国と伍してやっていくための基礎体力増強や維持に深刻な悪影響を及ぼしているのは、IT業界ばかりではなく、教育界でも同様だと考えます。と言うか、むしろ、長い目で見ると、より深刻な影響を日本全体に与えるはずです。

小中高校での教育体制も当然そうですが、高等教育のあり方については、その改善は焦眉の急と言わねばならないと思いますが、すでにあちこちからの警鐘が鳴らされて久しいにもかかわらず、どうも改まる気配がないのはどうしたことでしょう。

今日の学生にとっては、海外に留学したり、将来、海外で仕事をすることも当然だという前提で、その教育体制を考えなくてはなりませんし、また、大学などの高等教育機関は、海外から留学生を受け入れること、海外から教授陣を現状より多く迎え入れること、英語での授業を増やすこと、反対に、海外からの留学生のための日本語教育に力を入れることなどは、ごくごく当然のことであるはずなのですが、文科省が声をかけ、予算を出さないと、一向にその気配すら見せない高等教育機関があるというのは、理解に苦しみます。

こうした基盤が整っていかない限りは、日本の高等教育のガラパゴス化は、改まらないまま、多くの大学などの高等教育機関グローバル化の波に呑み込まれて消えていくと考えても間違いはないでしょう。