国際交流「出島」論は、まだ生きている?

国際教育交流のスペシャリスト養成は可能か、といった課題は、じつは、私が(財)日本国際教育協会に就職した1970年代半ばにも、JAFSA(国際教育交流協議会) http://www.jafsa.org/(当時は任意団体の「外国人留学生問題研究会」)で、議論が絶えないテーマでした。

つまり、日本の大学などの国際交流部署の職員にしても、留学生委員会とか国際交流委員会の教員にしても、多くは数年でローテーション人事によって替わっていくことが普通だったからですし、今もその傾向は変わっていません。

当時から、欧米の大学では「留学生アドバイザー」などといった肩書きの専門家がいて、それぞれが、カウンセリング、異文化コミュニケーション、語学教育などの分野で、多くはPh.D.を取得している人たちでしたし、教員だったり、あるいは事務職員であっても教員と対等な関係で仕事を担っていました。

米国のNAFSA(全米国際教育者協会) http://www.nafsa.org/ の年次大会などに行くと、「あら、ジョー!」「ハーイ、アン!」などとファースト・ネームで呼び合い、親しげにハグをしている姿が印象的でした。長年のつき合いで、個人的にも親しく、また、年中、会議や研修などで会っているのです。

そして、こうした年次大会への参加者も数千人規模なのです。

それから幾星霜……。

日本への留学生数は当時の3,000人ほどから、今は、日本語学校に学ぶ留学生まで含めれば、およそ17万5千人を数えます。途中、「留学生10万人計画」があり、今では「30万人計画」が進行中です。

それで、日本の大学などの国際教育交流担当者は、どうかと言えば、少数の例外的私学を除いては、とくに国公立大では、相変わらずローテーション人事で異動があり、業界でのネットワーク構築もままならず、ノウハウの蓄積も薄弱と言わざるを得ないのが現状なのではないでしょうか。

アジアの大学などで、しばしば言われたことがあります。「日本の大学は来るたびに違う人を出してくるのです。毎回、初めまして、と名刺をもらい、前に来た人や、その前に来た人と同じ質問をして初めて有益な情報を聞いたような顔をして、ぜひ、協力して進めましょう、などと言っては、満足したように帰っていきますが、次は、また違う人が来るんだろうなと思いますよ…。」

JAFSAでは、以前、私も理事・事務局長を務めたこともあるのですが、こうした日本の大学などの国際交流の弱点を補うべく活動してきてはいますが、どうも見たところ世の中の大勢には太刀打ちできないような気もするのです。それは、JAFSAの責任と言うよりは、こうしたシステムに何の疑問も抱かない大学などに問題があるということだと考えています。

昔、国際交流「出島」論というのがありました。

大学で国際交流部署は鎖国時代の長崎の出島のようなもので、そこでだけ国際交流をやっていればいい、大学の本体にはあまり関わりがない、といった自己卑下的な表現だったのかも知れません。これに反して、大学のどの部署でも国際的なことをこなせばいいじゃないか、という人もいました。

見るところ、理想論である後者の方法で成功している大学はきわめて数少ないように思えます。

かと言って、「出島」方式は、組織全体に国際交流の重要性を認識させるうえでは、必ずしも効果があるとは言えないのも事実です。

国際交流担当部署が、学内で「出島」ではなくなる具体策を打ち出すことが必要なのです。