国際教育交流担当者の資質とは?

昨日書いたことに関連しています。

先日、ある私学の方と久しぶりにお会いして様々な話をしました。かれこれ2年近くお会いしていなかったので、積もる話があり、夜になってしまい、ビールを酌み交わしながら話を続けました。

やはり、彼の大学でも職員は定期的に異動があり、交替してしまうので、国際交流部署はなかなか大変だと言うのです。

どこの大学でも見られることですが、正職員は異動で次々に替わるので、国際交流部署に必要な人財は、非常勤や派遣職員で補う傾向が強まっているのです。

彼曰く、しかし、大学当局は語学が出来る人ならそれで仕事はこなせると思っているのだそうです。

もちろん、英語や中国語などが出来るに越したことはないですし、国際交流の実務をこなすうえで、語学は必須と言うことも出来るでしょう。

私が敬愛する某私学の学長は、以前、東京の国立大の学長だったことがあります。そのとき、学長室に彼を訪ねると、執務室にはミカン箱くらいの段ボール箱があり、そこには海外から来た郵便物が山と入っていました。

「さすが、先生、海外からファンレターがこんなに来るんですね」と私は、いつものように、おどけて言ったのですが、彼は真剣な顔で、「堀江さん、この大学に来た海外からの手紙は、全部、私のところに持ち込まれてしまうんだよ。英語や中国語を読める事務職員がいないんだ」と、信じられないようなことを告白したのです。

もちろん、これは10年ほど前の話ですけれど、当時の国立大学では、職員が外国語が出来ないことは、たぶん、めずらしいことではなかったのではないでしょうか。多くの国立大では、外国語の書類の処理には、語学の出来るアルバイトを使っていました。今も、状況は、そう変わってはいないのではないかと想像します。

しかし、学長に海外からの郵便物の処理をさせるとは、あきれた大学ではあります。

そうした意味では、語学は出来るに越したことはない。しかし、それでだけで国際交流の仕事が出来ると考えられたら、それは大間違いなのです。

それ以前の条件として、社会人としての常識を備えたマトモな人間であること、対人コミュニケーションがスムーズに出来ること、組織内できちんと仕事を出来ること、等々は、語学力よりもはるかに大切なことなのです。

さて、そうした人たちが国際交流担当部署の職員にどれだけいるのでしょう。もちろん、多くいることを期待します。