「大東亜共栄圏構想」と「南方特別留学生」(4)

大東亜共栄圏構想」と「南方特別留学生」について、チラッと見てきました。

(3)で書いたように、たいへんな苦労をしたにもかかわらず、あの戦時下の留学生たちのかなりの人たちは、なぜ反日家にもならず、社会で活躍した人が多かったのでしょうか。

その理由として、次のことを挙げてもいいかと考えます。

  1. もともと「良家の子弟」で、その社会の上層の恵まれた家庭の出身者が多かったため、帰国後、その国の社会ですぐに活躍できる環境にあった。(例えば、進学後、陸軍士官学校を卒業したフィリピンのホセ・ラウレル3世は、ホセ・ラウレル フィリピン共和国第3代大統領の子息。)
  2. 比較的年齢が若く、インテンシブに日本語を叩きこまれたことによって、日本語能力が格段に向上し、その後の日本での勉学や社会生活に適応しやすくなった。
  3. 戦時下という特殊な状況にあって、周囲の日本人たちと苦労を共有した経験が、より深い日本理解へとつながり、決して日本人と日本社会へのマイナスの評価にはつながらなかった。
  4. 戦後の東南アジア社会にあって、日本との関わりを深く持つ知的階層が必ずしも多くはなかったため、活躍の場が多く見出せた。
  5. 戦後、東南アジア社会が急成長するタイミングに社会人として活躍できる機会に恵まれた。

皮肉にも、当時の日本軍政が意図したこととは関係なく、一つの戦略的留学生受け入れが、結果として成功したケースだと言えるでしょう。

他の例だと、かなり意図的にこうした留学生受け入れ政策を実施したのは米国で、開始されてから冷戦期までのフルブライト・プログラムにも親米派育成の意図が明らかでしたし、米国務省とフォード財団が組んだインドネシアからの、いわゆるバークレー・マフィア」も同様の趣旨だったと言えるでしょう。

今日でも、オバマ政権になってすぐに、米中間で4年間に10万人の留学生の交換計画が動き出しているのはご承知のとおりです。

日本では、こうした戦略的な留学生受け入れ政策は、戦後しばらく鳴りをひそめていましたが、2001年になって大学院レベルの「ヤング・リーダーズ・プログラム」(YLP)が開始され、他の国費留学生制度とは一線を劃した受け入れプログラムとなっています。

文科省ホームページに曰く「アジア諸国等の将来のナショナル・リーダーとして活躍が期待される若手の行政官等を我が国に招へいし、日本に対する理解を深めることを通じて、世界各国の指導者等の人的・知的ネットワークを創り、我が国を含む諸国間の友好関係の構築、政策立案機能の向上に寄与することを目的。専攻分野は、行政、ビジネス、法律の3コース。すべて英語による1年間のプログラム。受入れ大学より『修士』を授与。」

受け入れ大学は、「行政コース・地方行政コース」政策研究大学院大学、「医療行政コース」名古屋大学、「ビジネスコース」一橋大学、「法律コース」九州大学となっていて、待遇も他の国費留学生のカテゴリーよりも格段に良くなっています。

YLPの意図するところは意欲的ではありますが、気がかりな点は、すべて英語で授業を行い、1年間で修士を取らせるというインテンシブなものであることから、日本社会と日本人に触れあう時間的、言語能力的余裕があまりないと思われることです。

また、将来を約束された官僚を受け入れるのでは、その留学生たちはハングリーではなく、モチベーションがどれだけ高いのかも気になる点ではありますし、そもそも海外にいて英語でも日本の諸側面についての概論的なことは勉強できるので、取り揃えている授業にもよりますが、留学生たちは、いったいどれだけ満足出来ているのだろうかとも思います。

「南方特別留学生」たちが日本語教育をきちんと受けていたことが、その後の彼らの日本との関わりにきわめて大きな影響を及ぼした可能性が高いことについては、再度、検証されてもいいのではないかと考えます。(このシリーズおわり)