「クール・ビズ」と「国際化」

昨日からは、台風2号の影響で、雨がひどいところもあり、震災の被災地も心配ですが、そろそろ、ときに蒸し暑くなってくる季節です。

この夏は、電力不足が予想され、省エネもさらに徹底しなければということで、「スーパー・クール・ビズ」なるものも登場しています。要は、ポロ・シャツにジーンズでも構わない、ということらしいです。

暑がりの私は、もろ手を挙げて大賛成ですね。

しかし、それと国際教育交流がどう関係あるかですって? じつは、大ありなのです。

今の日本人の国際性のなさという点は、国際教育交流の進展の遅々たる状況と密接に関わっていると私は考えているからです。いえ、決して我田引水論ではありません。

昨年8月、何十年か振りでシンガポールに行きました。東京よりも涼しかったので、半分冗談に「シンガポールに避暑に行って来ました」などと言ったものですが、それほど昨今の日本の夏の暑いことは事実です。とくに湿度が高く、都市部では夜になっても気温が下がりませんから、エアコンの運転を抑えるとなると眠れないのではないかと心配です。

「省エネ・ルック」なるものが言われだしたのは、1973年秋の石油ショックで省エネが注目された70年代半ばに、大平正芳羽田孜といった当時の有力政治家たちが率先して半袖のスーツを着用して脚光を浴びて以来です。しかし、デザインが野暮ったく、恰好悪いと評判は散々で、立ち消えになってしまったようです。もっとも、数年前に羽田さんとお会いしたら、彼は相変わらず半袖スーツ姿でしたけれど。

「クール・ビズ」が言われだしたのは、2005年に環境省二酸化炭素削減のために冷房温度を28℃にしようと提唱したことがきっかけです。ご承知のとおり、上着・ネクタイなしで半袖シャツという姿です。

そして、今年は、震災の影響で「スーパー・クール・ビズ」という具合ですが、そんなことは、とうの昔にやっているのが東南アジアです。

以前、ジャカルタでの仕事で私が着ていて某国立大学の国際交流委員長の先生にたいへん叱責されたインドネシアやマレーシアの「バティック」のシャツ*1、フィリピンの「バロン・タガログ」などは、公式の場に着られるものです。もちろん、ハワイの「アロハ」も同様ですけれど。

しかし、ちょっと待ってください。

団塊の世代なら、子どもの頃「ホンコン・シャツ」や「セミ・シャツ」を着ていたサラリーマンの姿をご記憶ではありませんか? 前者は、1961年にテイジン石津謙介の提案で発売した、袖口の上部に1cmほどのスリットの入った半袖シャツ、後者は東レの同様な製品です。あのタイプのシャツこそは日本のクールビズの先駆けだったのではないでしょうか?

当時は、今日ほどエアコンも普及していなかったし、電車の冷房もあまりない時代でしたから、夏の暑いときに上着などを着てはいられなかったことでしょう。

ただし、生地は合繊と綿の混紡だったし、ネクタイを締めている人が多かったので、じつは、あまり涼しくなかったのではないかと思います。

それが、いつからか、スーツを着るようになってしまい、オフィスでも冷房をガンガン効かせるようになっていたのですね。なぜ、もともと冷涼な気候のところが多い欧州の服装であるスーツにネクタイのスタイルを日本の夏に真似なければならないのかを考えると、歴史的な日本人の欧米志向が象徴的に表れていて滑稽です。

「国際化」とは「欧米化」と同義であった時代、あるいは、欧米文化が世界標準であった時代は、だいぶ前に終わっているのです。もう、欧米スタイルにこだわる必要もありますまい。

そうですね、日本では唯一、沖縄の「かりゆし」が、正式の場に着られる半そで開襟シャツでしょうか。仲井眞弘多沖縄県知事が着ている姿を、よくテレビでも映しているのでお馴染になりましたね。他にもこのような日本独自の夏の服装を正式なときにも着られるように洗練させていくのが、今、求められている新たな「国際化」の一つであるはずなのです。

こうした発想が出来るようになれば、日本の国際教育交流も、もっと柔軟に現実に即した形で発展させられると考えるのですが……。(やはり、ちょっと我田引水論になってしまいましたかね?)

*1:業界では一部に有名な「ジャカルタ・アロハ事件」。後日、機会があれば詳述します。