「“多文化主義”とは“同化主義”に過ぎなかった」

久しぶりに「良心」の声に接した気分になりました。

韓国ハンギョレ新聞掲載のユネスコ生涯学習研究所 カロリン・メデル・アニョヌエボ(Carolyn Medel-Añonuevo)副所長のインタビュー記事です。

多文化主義(multiculturalism)」が言われて久しいのですが、独英のリーダーたちの「多文化主義は失敗だった」という宣言は、同副所長の意見では、現在、欧州に暮らしている多くの移民たちは本国の文化を依然として強く主張し、欧州国家の主流社会はそれに対する拒否反応を示しているとして、欧州国家がこれに対して‘移民たちが私たちの文化を全く受け入れることができないので多文化主義は失敗した’と話すが、それは本質的に誤りであり、それは結局、彼らの多文化政策が欧州への同化主義だったことを傍証しているのだ、という主張です。

つまり、多くの移民を受け入れてきた欧州の「多文化主義」という耳障りの良い言葉の本質は、欧州の文化への「同化」を意味していたに過ぎない、と言うのです。それを「失敗だった」と宣言した独英の首脳こそは、自分たちの「多文化主義」というオブラートに包んだ「同化主義」を包み隠しているだけだ、という意味です。

戦後、例えば米国は、ニューヨーク市などの多文化・多民族の街を「人種のるつぼ」と表現しました。しかし、「るつぼ」であれば、民族や文化が溶け合って、新しい別の何かを形成しなければならないということで、それは実態とは違っているという批判が出て、その後、「サラダ・ボウル」という表現も現れました。溶け合うことはなくても、それぞれが個性を持って入り混じって存在している、といったほどの意味だったでしょう。

しかし、そのような理想的な姿とはかなり異なる社会を米国は形づくってきたはずです。

そして、欧州でも、例えば旧西独では、戦後の労働力不足を補うために、1955年にイタリア、60年にスペイン・ギリシャ、61年トルコ、63年モロッコ、64年ポルトガル、65年チュニジア、68年ユーゴスラビアと二国間協定を結び、外国人労働者を入れるようになり、73年の石油ショック以降、移民の募集は停止されました。

2008年の時点で、ドイツに住む外国人とドイツ国籍を持つ移民の人口は1560万人で、ドイツ全人口8210万人のうちの19%を占めています。

そして、そこで生まれた子どもたちの教育の問題なども抱えこみ、理想的な多文化・多民族社会は、そうそう簡単には形づくれないことが経験上、よく分かってきたわけです。

アニョヌエボ副所長は、今後は、「多文化主義」ではなく「相互文化主義(interculturalism)」に進まなければならない、と主張しています。独英のリーダーたちの言う「多文化主義の失敗」とは、一方的な価値観や文化の押し付けであり、決して相互主義ではないとの考えによるものでしょう。「失敗」という言葉を遣うこと自体が問題であるわけです。なぜならば、「押し付けの失敗」であるに過ぎないのですから。

韓国では、いわゆる「多文化家族」が増え、政府もその支援に力を入れてきていますが、日本でも、海外にルーツを持つ人たち、国際結婚移住者、留学生、研修生、外国人社員など、次第に多くなってくる傾向にあります。果たして相互文化主義的な対等な関係を築けるのか、そして、今後、どうやって相互文化主義的な日本社会を形成していくことが出来るのか、大きな課題であることは間違いありません。

"自国文化 強要‘多文化’は失敗した政策"(2011年05月31日11時57分 ハンギョレ新聞) http://news.livedoor.com/article/detail/5598291/