受け入れることは、自らも変わること

韓国では、同国統計庁のデータで2009年の国際結婚率が10組に1組を超えるのですが、ベトナムなどからの外国人花嫁が自ら死を選んだり、殺されたりといったニュースが後を絶ちません。韓国マスコミは、そのたびに大きく報じていますが、受け入れ環境についても、国際結婚エージェントの実態も、改善は遅々として進んでいないように見えます。*1

日本でもエージェントを介した国際結婚の広告はネットにはかなり出ていますし、エージェントを介したかどうかは別として、厚労省の人口動態統計によれば、1970年代には1%以下だった国際結婚比率は、1989年には3%を超え、2006年には、6.1%が国際結婚となりました。その後、「興行」の在留資格で入国していたフィリピン女性の激減などもあり、2009年には4.9%になり、今日では日本人の結婚のおよそ20組に1組は国際結婚というのが実態です。

結婚ほどには人生にとって深刻で長期的なものではないにしても、海外から留学して来ることも、それまでの自らの文化、社会、習慣、価値観などと留学先のそれらとの違いに大きなストレスを受けることの一つです。

脚注1のニューズウィークの記事でも伝えているように、「外国人が韓国社会に溶け込む努力をするだけではなく、韓国社会が異なる文化の受け入れ方を学ぶ必要もある。」「マイノリティーだけでなく、マジョリティーの側も教育すべき時期が来ている。」といった指摘は、じつは、国際結婚だけでなく、異文化を背負った人たちを受け入れる側の課題として、日本にもそのまま適用されます。

そして、国際結婚だけでなく、海外から留学生を受け入れるとき、あるいは、外国人を社員として採用するとき、さらには、海外出身の人たちを地域社会に受け入れるとき、まさにこうした視点が必要になるのです。

海外からの移民に「同化」を求めて失敗を宣言した西欧の話を先週、書きましたが*2、こうした失敗を防ぐためにも、また、国際教育交流の成果を上げるためにも、留学生への教育と同時に、受け入れる側への適切なオリエンテーションや教育も同等に必要なのです。

つまりは、受け入れる側も、従来のままではなく、変わる必要があるのです。

残念ながら、それを理解している教育機関はそれほど多くなく、また、留学生を社員として採用し受け入れるする企業の側にも、その意識はきわめて希薄だと思われます。

外国人を受け入れているごくわずかの企業では、そうした研修を日本人役職員にも行い、好ましい結果を得ているようではありますが。

*1:外国人花嫁の死が物語る韓国の病理(2011年06月07日 ニューズウィーク日本語版) http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/06/post-2128.php

*2:「“多文化主義”とは“同化主義”に過ぎなかった」 http://d.hatena.ne.jp/keishu48/20110601/1306886597