日本の国際教育交流≪産業≫のぜい弱さを克服するには-2

いわゆる「国際交流」がお飾りに過ぎないのではないか、という話を昨日、書きました。なかには異論を唱える人もいるだろうことは承知の上です。つまり、地道に海外の人たちや地域の外国人との交流に取り組んでいる人たちも少なくないことを私も知っているからです。

私が気にしているのは、自らの日々の生活や人生には直接関わりがなく、皮相的な「交流」活動をしている人たちです。もちろん、趣味として、「お茶」「お華」の類と同列で「国際交流」を楽しんでいることを必ずしも否定するものではありません。

ただし、そうした日本人と接した外国人は、同じ対等な人間として扱われていないような寂寞感を覚えることがままあると言います。

何年日本に住んでいても本当の友だちが出来ない、といったことを嘆く外国人は意外に多いのです。

もし、こうしたスタンスで国際教育交流に関われば、結局、皮相的な関わりのまま終わってしまうことが少なくないのではないでしょうか。

…少し本題から逸れました。

日本の国際教育交流が弱い原因は、しかし、以上のようなお飾りだったり、趣味だったりすることが少なくないという背景により、必要不可欠なもの、現実のものであるという認識が足りないことによる気がしてならないのです。

したがって、これを現実のものとして認識するためには、まず、国際教育交流を一つの産業として位置付け、経済活動である側面もきちんと捉えることが必要でしょう。

留学生を受け入れることは、やたらとお金がかかること、といった認識は日本以外ではありません。むしろ、経済効果を期待する国が大部分です。

つぎに、なぜ、日本のこの分野が弱いかと言えば、横の連携がほとんどないから、という理由によるものですから、その連携をつくることから始めないとならないでしょう。

経産省主導の「アジア人財資金構想」は、その点を補う一つの意味ある試みでした。中央官庁も、連携が必要ですし、セクターとしても、教育機関・産業界などの関連分野が連携することで、日本全体として、これを強化することが可能になっていくに違いありません。(おわり)