アジア文化会館を知っていますか?

東京の文京区本駒込に「アジア文化会館」があります。改修されて以前の古色蒼然とした由緒あり気な建物は、多少とも明るい雰囲気になりましたが、建物自体が建てられたのは1960年ですから、すでに51年の歴史があります。(財)アジア学生文化協会が管理運営しています。*1

ここは、留学生たちの宿舎であり、日本語学校も併設されていますが、同時に、留学生たちの心の拠りどころとなっています。老朽化した建物ではあっても、帰国した留学生たちも日本に来ると、よく、アジア文化会館を訪ねています。日本に来れば、必ず戻りたい場所であるのです。

昨今、事業仕分けで取り沙汰されるような宿舎とは、その点、一線を画しています。

その理由は何でしょうか。

今日、そこで、4月にご紹介した*2ホーチミンのドンズー日本語学校のグエン・ドック・ホーエ校長とお会いして歓談しました。ホーエ校長も東大出身で、東京では必ず、アジア文化会館に宿泊しています。

今回、彼は、同校出身の留学生たちが震災に遭い、大丈夫か心配して、各地を回って留学生たちを見舞ったり、同校の年に150人という日本への留学生を訪ねに来たのだそうです。ホーエ校長によれば、5年前には5,000人を数えた同校で日本語を学ぶ学生は、今日では2,000人程度に激減し、ベトナムの若者の中国・韓国へのシフトが歴然としているとのことです。

それは、また考えるとして、今日は、なぜ、アジア文化会館には留学生が鮭か燕のように戻って来るのか、について考えたいのです。

例えば、最新の設備を誇る高級マンションのような壮大な留学生宿舎があるとします。しかし、周囲には生活のにおいのするものは何もなく、生鮮食料品店もない環境で、カードキーで建物や部屋には出入り出来、入口に「お帰り!」と声をかけてくれる守衛のおじさんがいるわけでもありません。夜も警備員が巡回していますが、警備会社から派遣されている制服の人で、常に同じ顔であるとも限りません。キッチンやバスルームは室内ですから、他の部屋の人と出会う機会もあまりありません。ここには、ただ鉄とコンクリートとガラスで出来た無機質な建物という空間が存在するのみです。

いっぽう、アジア文化会館は何やら古いし、あちこち、具合の悪い設備もあります。近所には商店やスーパーもあります。会館に帰れば、「お帰り!」と声をかけてくれる顔なじみのスタッフがいます。ラウンジでは学生たちが座っておしゃべりをしています。入居時に見知らぬ人同士だった各国からの留学生も、すぐに打ち解けて親しげに言葉を交わすようになります。友情の輪も次第に広がります。

以上、当然のことですが、前者には人間的な交流の場をつくり出すことはなかなか困難であり、後者には、それが比較的たやすく出来るということです。

留学生も人間ですから、勉強と宿泊の場だけではない心の交流が出来るスペースと機会が必要なのです。

当たり前のことですが、しかし、今日の日本ではこれが当り前ではなくなってしまっている傾向があることは事実です。

鉄とコンクリートとガラスの無機的な宿舎には、人は日本を再訪したときに戻りたいとは思わないでしょう。

多くの心のふれあいの機会を、私たちはみすみす失ってしまっていることを、強く認識する必要があります。そして、これは、日本にとって莫大な損失であることに気づくべきなのです。