海外の日本語教育の貧困をどうするか

言語に難易の違いはない
日本語は世界の言語の中でも習得が難しいなどとという神話を今も信じている人も、中には、いるのかも知れませんが、言語自体には難しい、易しいはないと私は考えています。なぜなら、一般に言語は意思などを伝達する手段であり、その使用にきわめて困難な方法をとることは、その目的と矛盾するからです。もちろん、正確を期するために規則性は必要とはしますが。

私が学生時代に習ったある言語学者は、「言葉なんて何語をやっても同じだねぇ。」と言っていました。印欧語族のいくつもの言語をマスターしていた彼は、とりわけギリシャ語への造詣が深かったのですが、ロシア語は3か月でマスターし、プーシキンなどロシア文学を楽しんだそうです。

そうした天才は別としても、生活上、必要とあらば、スイスあたりの土産物店のおばちゃんだって、英・独・仏・伊・西語くらいは平気で使い分けています。マレーシアの料理屋のおじさんだって、英・馬・中・タミル語くらいでなら、注文を受けています。

日本人には日常的に外国語の必要がある人が少ないせいか、外国語が苦手な人が多く、2言語を母語レベルで話せる"バイリンガル"や3言語の"トライリンガル"は、ごくごく少数です。また、「1言語しか話せないのは?」「それは、"アメリカン"」などという冗談もあるように(正しくは、"モノリンガル"でしょうね。)、米国人も英語以外は苦手などと言われますが、カリフォルニアあたりだとスペイン語も分からないと不便なこともあるようです。

日本語の国際的通用性
さて、では、日本語ですが、どうでしょう。どれくらい海外で通用するでしょうか。まぁ、まず日本以外のどこでも、ほとんど通用しませんよね。海外で、なれなれしく日本語で話しかけて来る見知らぬ人がいたら、普通は逃げることをお勧めします。詐欺か昏睡強盗などの可能性もないとは言えませんから。

世界の日本語学習人口は、365万人で、ますます増えているというのが国際交流基金の2009年調査のデータなのですが*1、アジアに行って感じるのは、日本の存在感が急激に薄れていることと並行して、日本語学習者も減っているという実感です。このブログにもすでに2回記しているように、例えばベトナム最大の日本語学校であるドンズー日本語学校の学生数も5年前に5,000人のピークを迎え、その後、急激に減って、今日では2,000人程度である、という事実がきわめて象徴的である気がしています。

国際交流基金の同年のデータで、ベトナムの高等教育機関での日本語学習者数は13,637人で、高等教育機関に学習者が集中しているのが他の東南アジア諸国とは違う特徴的なことです。*2また、同国では学校教育以外で、つまり民間の日本語学校などで日本語を学んでいる人の数は、25,510人で、これまた東南アジアでは、じつは最大人数なのです。

ベトナム日本語教育関係者に聞けば、こうした統計数字には出てこない日本語学習者もかなり多いとのことです。

海外の日本語教員を確保するには
ところが、これはベトナムだけの現象ではないのですが、海外で日本語教育にあたる教師の数が足りず、「NIHON MURA」http://www.nihonmura.com/ などのウェブにも日本語教師の求人情報が常に掲載されています。たまには条件の良い求人もありますが、ほとんどはかなり安い賃金が提示されていて、なかなか海外にまで行こうという気を起こさせないのではないかと思います。

先週、ベトナムで直接聞いた話では、1コマ45分につき200〜300円という学校もありました。仮に毎日6コマ教えたとしても月収は1万数千円程度の計算となり、ベトナムの学卒者の初任給が300〜400ドル程度と言われますから、決して良い条件とは言えないようです。

そうなると、もちろん、良質の教員の確保が問題となってきます。定年後、ボランティアで日本語を教えるとか、世界を旅しているついでにしばらく日本語を教えるとか、いきおいそうした必ずしも経験が豊かではない日本人教師が教えることも少なくはないようです。

「官」も「民」も日本語教育支援体制を
国際交流基金の事業は、その一つの柱であった文化交流から、日本語教育へと大きくシフトし始めています。これが良いことかどうかはさらに検討を要しますが、他の言語、とくに英語と中国語の世界諸地域での教授体制には明らかに見劣っていることは事実ですから、海外の日本語教育体制の充実は喫緊の課題ではあるのです。

今回、ベトナムの大学の日本語学科をお訪ねしたときに、韓国語の初級から上級までの教科書を見せられました。ベトナム語とハングルで書かれているので内容は分かりませんでしたが、ベトナム人の先生によれば、良く出来た教科書だそうです。そして、それは韓国政府が無料で配布しているとのこと。「日本にも頑張ってほしいです。」と言われました。

海外に日本語教育を求める人たちがいる限り、日本としてさらに何らかの支援をしていくべきだと考えますが、昨今の海外での状況をみると、それはあまりに貧困だと言わねばならないのです。もし、仮に日本語が「難しい言語」であるなら、それは、日本語そのものの難しさというよりも、その教育体制の貧困さによるものと考えるべきでしょう。

「官」も「民」も連携した日本語教育振興の支援体制が海外でも必要です。