「ソフト・パワー」をもう一度考える。

ジョセフ・ナイの『ソフト・パワー』
オバマ大統領になってから、駐日大使を取りざたされたこともあるジョセフ・ナイが、『ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力』(原題 Soft Power: The Means to Success in Wold Politics=ソフト・パワー 世界政治における成功の手段、2004年)で示した考え方を簡単に言えば、「米国が戦争や経済力といった"ハード・パワー"によって世界政治に君臨しようとするのはお金もかかり過ぎるし、反発を招く危険も大きい。だから、様々なレベルでの文化交流などを通じた理解促進を図れば安上がりだし恨まれる危険も少ない。」といったことでしょう。(いろいろ問題も指摘されるウィキペディアですが、「ソフトパワー」については、よくまとめられているので、興味あれば、ご参照ください。*1

もちろん、これは、「米国が世界に力を及ぼすためには」という前提があるので、ミサイルや空母、あるいは、お金の力で他国を押さえつけるだけでは、かける費用のわりに効果は期待できないぞ、という意味でもあるわけです。

「ソフト・パワー」のゆくえ

当時のネオコンへの批判から出てきた発想ですが、現実には今の米民主党政権でも、いまだにアフガニスタンからは撤退はしていないわけですし、ブッシュ政権下でのイラク人の死者は、米ジョンズホプキンス大学の推計では2003年3月〜06年の間に戦争等で死亡したイラク人の数を約65万5000人とし、イラクでの米軍の死者4,470人、負傷者3万2000人、アフガニスタンでの米軍の死者1,650人、負傷者1万2300人(すべて先月末の概数)、アフガニスタン側に死者数1万7000人、負傷者5万5000人といった犠牲の数字を見ると、いったい「ソフト・パワー」はどこへ行ってしまったのだ、という疑問にもつながります。

ただ、そうではあっても、今日の世界でも戦争の遂行はたいへんに困難ですし、札束で相手の頬を叩くようなこともたんに反発を招くだけで、中長期的には決して得にはならないことは明白なわけですから、さまざまな「ソフト・パワー」を駆使して、平和裏に共存と相互の理解の深化とを図っていかなければならないのは当然のことでしょう。

となれば、まず進められるべきは、文化交流の推進であり、また、短期・長期の若者たちの交流であり、留学などの機会を増やすことです。心に柔軟性のある若いうちに体験したことは、その人の一生涯を方向づけることがよくありますから、若いうちに自国から出たことがない人間より、海外で様々な体験をして、さらに、友人知人を多く作れた人間のほうが、より広い目で客観的に世の中やものごとを見ることが出来るようになるに違いないと期待できます。

総合的な文化戦略を

いわゆる「文化」の交流でも、日本文化を例に取れば、従来のような茶道、華道も決して悪くはありませんが、今の世界の若者たちが関心を持つのは、日本のアニメであったり、J-popであったり、あるいは、サブカルチャーであることが多いわけですから、それも含めた幅広い柔軟な交流をさらに考えるべきでしょう。日本のアニメを理解したいがために日本語をマスターしてしまったという若者も少なくないのです。(この点、たびたび、ここで触れているように韓国の総合的な文化戦略は優れていますし、中国の「孔子学院」も、それに含まれます。)

海外から若者が日本に来ても、定番の観光コース以外にも、その世代が関心を持つ場所を訪問したり、イベントに立ち会える機会も設けるべきなのです。そして、日本の同世代との何らかの共同作業をする場を工夫してつくるべきだと考えます。

効果は明日には表れないかも知れないけれど

事業仕分けに象徴される行革の急激な断行で、こうした分野、つまり、今日投資したことが明日、すぐに効果として見えてこない分野の予算がバサバサと無残に削減されていますが、空母や戦闘機を造るよりもはるかに安価に、そして効果的に日本のソフト・パワーを発揮できる可能性が高いということをもう一度、しかと考えるべきときではないのでしょうか。