「愛は胃袋から」−これも「ソフト・パワー」?

スペインの諺とか聞きましたが事実かどうかは知りません。"El amor entra por el estómago."(=「愛は胃袋を通って入る」)という表現は確かにあるようですが、他の言語にもあるかも知れません。

もともとの意味は、「男の愛を獲得しようとすれば、女は料理上手でなければならない」といったほどの、最近の女性には必ずしも当てはまらないというか、ジェンダー論をやっている女性たちからはやり玉に挙げられそうなことを表しているようです。

しかし、異なる文化と接するときに、その地域や文化に根差した食べ物を通じて、その地域や文化に、より親しみを感じるということはよくあります。

ただ、中には私のある知人のように、パリに数年間、赴任していながら、食事はほとんど和食だったという人もいることはいます。私なら、パリに長くいたら、さしずめイタリア門界隈で毎晩、ベトナム料理かタイ料理、あるいは中華料理を食べていたかも知れませんが……。もちろん、パリには鮨屋もあるので、そこにも行ったとは思いますけれど。

東京にいると、今や世界中のほとんどの料理が食べられることに改めて驚くのですが、こうした都市は、他にはニューヨーク市くらいでしょうか。

逆に、どこか海外の料理を自国内で食べて、その料理のオリジナルな場所に興味を持つ、ということもあります。私の場合、イタリア料理とイタリアがそうでした。日本でもイタリア料理は、もちろんよく食べてはいたのですが、あるとき、オーストリアを旅行していてウィーンなどを除けば、料理の平凡さに辟易としていたとき、チロルの州都、インスブルックで、たまたま入ったホテルのイタリアン・レストランで食べたスカンピ(手長エビ)が美味しくて、翌年、アドリア海のスカンピを食べにベネチアに向かったのでした。

もちろん、イタリア語入門コースをNHKテレビで3か月間は速成でかじって、簡単な用なら足せるようになって行きました。歴史書も読みました。ゲーテの『イタリア紀行』なども読み直しました。

イタリアに行こうと思ったのは、きっかけは、食べ物が美味しかったからですが、その後、イタリアの様々な側面を勉強して、ますます興味を持つようになったわけです。

つまりは、これも「愛は胃袋から」の一例かも知れません。

他にタイやベトナムに興味を持つようになったのも、食べ物の要素は大きい気がします。

その意味で、今日、世界で日本料理がもてはやされているのは、日本への関心を持つ人たちが世界に増えている、と見ることもできるわけで、これも「ソフト・パワー」の一環であることは確かです。この際、「ガストロツーリズム」でも確立して、例えば、海外の人に鯨の尾の刺身などの美味しさを実体験してもらうツアーでも売り出すのも悪くないかも知れません。

いえ、まぁ、たんに私の食い意地が張っている、ということに過ぎないのかも知れませんが……。