「国とその文化は完全に区別されているようだ。」

昨日、「クール・ジャパン」について少し書きました。

今日のあるメルマガで、北京外国語大学日本語学部講師で、現在、大東文化大学訪問研究員である宋剛さんが、次のように記しています。

中華料理はすでに日本の社会に定着している。ところが、中国が好きだから、中華料理を食べる日本人は一人もいない。反対に、日本のマンガとアニメも中国の若者の世界に充満している。ところが、日本に来たことのない人は、日本にはオタクばかりいると考えがちで、日本に来ても、秋葉原メイドカフェにしか足を運ばない人は少なくない。国とその文化は完全に区別されているようだ。はたして、文化交流で国民同士の心が結べる、文化外交で国のイメージアップが果たせるというようなスローガンはまだ安易に使えるのだろうか。*1

もし、これが完全に正しいとするなら、「クール・ジャパン」などは多くは徒労に終わるということを意味するのでしょうか。

たしかに、メイド・カフェなどが好きであっても、それが日本文化や日本語を理解するのに大きな力になることは、たぶん、ないでしょう。なぜならば、オタク文化あるいはアキバ文化の一つの象徴である「メイド・カフェ」は、日本の伝統や文化に深く根ざしてはいない、皮相的な一時の流行にしか過ぎないからです。

こうした「サブカルチャー」を楽しむことを決して否定はしません。ただ、日本製のアニメが海外で爆発的な人気になっても、だからと言って、日本理解者が世界に増えるという考えは短絡的すぎます。

まだ小さい子どもであった頃を思い出してみると、私のような団塊の世代の者にとっては、角の丸いブラウン管の白黒テレビでは「名犬ラッシー」や「ララミー牧場」、あるいは、「うちのパパは世界一」、「奥さまは魔女」といった米国製のテレビ・ドラマが世に蔓延していました。日本のテレビ・ドラマはまだ見るに堪えないものが多かったのと、米国が文化戦略として安価で日本にテレビ・ドラマを供給していたからなのです。

そして、それが効を奏して、日本には米国に憧れる世代が増えはしましたが、だからと言って、多くの日本人の英語が大変に上達したり、米国社会への理解が格段に進んだということはなかったように思います。

同様に、メイド・カフェでもアニメでも、それが一つのきっかけになり得はしますが、それだけでは適切な日本理解が進んだり、日本語が上達する人が増えるということにはならないのです。

つまりは、きっかけから、どうやって適切な日本理解へ、あるいは、日本語学習へと導入していくかが一つの重要なポイントになっていると考えるのです。

* 上に引用した渥美国際交流財団 関口グローバル研究会のメルマガ「SGRAかわらばん」は、誰でも無料で購読できます。次のURLから自動登録することが可能です。http://www.aisf.or.jp/sgra/entry/registration_form/

*1:公益財団法人 渥美国際交流財団 関口グローバル研究会メルマガ SGRAかわらばん382号(2011年9月7日)