「クールジャパン」とは何か?

クール・ジャパン」の名称だけが独り歩きをしてしまい、勝手にさまざまな解釈がされている傾向があるので、昨年、経産省が提示した「クールジャパン」について何回かに分けて整理して確認しておきたいと思います。(細かいことで恐縮ですが、経産省は「・」なしで「クールジャパン」と表記し、私は英語の片仮名書きは基本的には単語の区切りに「・」を入れるので、ここでは経産省の言うところのものには「・」なしで、また、一般的に書くときは「・」を入れて表記しています。)

そもそも「クール」とは何だ?と思う人もいるかも知れませんが、"cool"とは、この場合、「冷たい」ではなくて「かっこいい」「感じがいい」の意味ですから、「かっこいい日本」ということになります。"Cool Japan"と最初に言ったのは、米国のジャーナリストとの説もありますが、確認はできません。誰でも言いそうなことなので詮索するのはあまり意味はないでしょう。なお、NHKBS1では、2008年1月から"cool japan"という番組を毎土曜日に放映しています。*1

いつものことながら、のっけから話がちょっと逸れますが、自らの文化とは異なるものに接したとき、人の性として、違和感を覚えて忌避する反応と、新鮮に感じて好ましく思う反応とに分かれるようです。もちろん、そのどちらでもない、という反応もあります。

忌避する反応については、ここではとくに触れませんが、好ましく思った反応では、例えば、1867年のパリ万博以降、欧州ではジャポニスムがもてはやされるようになり、当時、日本ではあまり顧みられることもなかった浮世絵が、欧米では注目され、芸術界に広く影響を与え、かつ、それが30年ほども続いたという事実は、「クール・ジャパン」の先駆と言えるでしょう。

あるいは、1930年代に日本に滞在したドイツの建築家ブルーノ・タウトは、桂離宮伊勢神宮、飛騨白川郷の合掌造りの農家や秋田の民家などに接して、その美しさに感動し、それを『日本美の再発見』として著し、そのお陰で日本でもこれらの建築美が再評価されることとなりました。

これらの例でも明らかなように、日ごろ見慣れたものも、外からの別の視点で見ると新鮮で、その良さを見出すことが出来る可能性があるということです。

私たちが、例えば、タイのマット・ミー(藍染)の深いインディゴの色とつやを見て美しいと感じたり、ベトナムの竹細工の繊細さを尊重したりする気持ちは、必ずしも現地の人たちの見かたとは一致しないこともあるように、すでに評価されている日本の伝統と文化だけでなく、今日、私たちが気づかずにつくったり、持ったりしているものの中にも、ちょっと視点を変えるとたいへんに優れたものもあるはずなのです。

本題から逸れて、脱線したままですが、長くなるので、次の機会から、経産省の「クールジャパン」について見ていきます。