「華夷秩序」とアジア−(2)

日本にも「華夷秩序

大陸からの伝播で、もちろん、経由地の朝鮮半島も例外とは言えませんが、「華夷秩序」はそのまま日本にも移植されたと見ても間違いではないでしょう。直接、大陸からもたらされた部分もあることでしょう。

時代によっての変化はありますが、歴史的には、「琉球」はひとつの独立した「朝貢国」と見なされたものの、「蝦夷(えみし/えぞ)」や「熊襲(くまそ)」と呼ばれた人たちは、その埒外に置かれました。アイヌは、なんと1979年まで「北海道旧土人保護法」により、1899年以来ずっと法的にも「旧土人」とされていたのも、沖縄に集中して米軍基地が置かれたままになっているのも、「華夷秩序」が日本にも生きていた、あるいは、生きていることの証拠と考えれば、理解しやすいのです。

昨日、「華夷秩序」を「円錐」に例えましたが、日本の場合、とくに「上下」が強調されるような気がします。

「お上」という呼び名は、政権を掌握する者、あるいは、その執行権を持つ者に使われてきました。高いところにあるわけです。それに対して、「下々(しもじも)の者」という表現は、一般庶民、低いところにある者という意味です。高級官僚は民間に「天下り」します。お役人はエラく、市井の者は賤しいというのが、その概念なのです。

本来、高級官僚を養成する大学だったので、東京帝国大学は特別な大学と見なされました。今でも、役所のエライ人には、東大出身者が多いのは、その名残りです。

「お上」のいる場所は高いところなので昇って行かなくてはなりません。以前は京都に行くのは「上洛」と表現しましたが、明治以降、東京に行くのは「上京」(「上洛」と同じ意味です。)することとなり、東京に向かう列車は「上り」の列車となります。東京から地方へ行くのは「下り」の列車に乗って行きます。低いところに向かうイメージなのです。

日本だけではないでしょうけれど、昔から、地方の者は「田舎者」として、どれほど金持ちでも、教養が高くても、「都」の者でないというだけで、「あのウチは100年前に滋賀から出てきた田舎者や」などと馬鹿にされたのだそうです。(関西人から聞いた話で、真偽のほどは分かりません。私の父方も100年以上前に滋賀から東京に出てきました。)いずれにせよ、「都」とそうでない場所との落差がたいへんに大きかったのです。

あまりに大雑把なことを書くのをお許し願えるなら、対照的なのは、米国社会でしょうか。ここへ来て、黒人のオバマ大統領が誕生するなど、若干、変化の兆しはあるものの、歴史的には、じつはWASPにとってだけであっても、タテマエ上は誰にでも平等な社会であったので、高級官僚だけが偉い、という概念は一般にはなかったような気がします。

首都であるワシントンDCに「上京する」という表現もないように思います。平板的であり、何かひとつの上下・貴賎の価値観によって縛られている社会とは対極にあるのではないでしょうか。もし、あるとすれば、どれだけ、お金を持っているか、が一般的尺度で、たいへんに分かりやすい社会です。と言うか、多民族・多文化社会なので、それしか尺度を設けられないというほうが、より正確かも知れませんけれど。

華夷秩序」と周縁の地域

華夷秩序」の概念に従えば、周縁の部分に朝鮮半島、日本列島もありますし、今日の東南アジアも周縁に置かれています。

文化的に見ると、漢語が行きわたっているのが、朝鮮語、日本語であり、ベトナム語にも漢語が多いということも先週、書いたとおりです。これらの地域では、「華夷秩序」が世界観、価値観、あるいは社会制度に色濃く反映されている可能性があります。

日本における「華夷秩序」の考えかたの影響の例については上に書いたとおりですが、例えば、「科挙」は平安時代から導入されたものの、あまり社会的影響を持つに至らず、機能しないまま、明治になって制定された「高等文官試験」の制度が、まさに科挙の試験制度を模したものであったと言ってもいいでしょう。

朝鮮半島については、不勉強で、よく知らないのですが、10〜14世紀の高麗や14〜20世紀の李氏朝鮮でも、科挙が導入されていたとのことです。李氏朝鮮時代には、両班(ヤンバン/リャンバン)の維持と科挙制度が相互に作用していたようです。

ところで、ベトナムは1075年に科挙制度を導入し、中国で1905年に科挙が廃止された後の1919年まで、科挙の制度を残していた国です。

ベトナム以外の東南アジア地域では、社会制度自体にこうした科挙などの制度の強い影響を見ることはできないようで、シャム、クメール、マレー、ジャワ等々の、それぞれ文化の独自性が見られたと考えていいでしょう。

華夷秩序」の概念は、心理的には誰にでも生まれてくる可能性があるものの、広い世界の多様性を見たり体験したりすれば、必ずしも自らを中心に世界が回っているというわけではないと、通常は気づくものです。

また、たとえ現実に自らを外の世界に置かなくても、今日ではマスメディアやインターネットなどを通じて情報は世界から入って来る地域が多いのですが、必ずしも全世界がそうではないこともあり、その限りにおいて、この前世紀の遺物は、まだ生きながらえていくことでしょう。(おわり)