「アジアは一つ」…であるわけはない。

岡倉天心が記した「アジアは一つ」という言葉が独り歩きしてしまい、大東亜共栄圏の思想へと援用されてしまったことは、天心にとっても、日本にとっても、また日本以外のアジアにとっても不幸なことだったに違いありません。

たしかに天心は、1903年にロンドンで出版した『東洋の理想』の冒頭で「アジアは一つである。二つの強力な文明、孔子の共同主義(コミュニズム)をもつ中国人とヴェーダ個人主義をもつインド人とを、ヒマラヤ山脈がわけ隔てているというのも、両者それぞれの特徴を強調しようがためにすぎない。」(佐伯彰一訳)と書いていますが、これはあくまでもアジアと欧州との対比、あるいは、対立構造上、書いているのであって、アジアの中を子細にわたって検討した結果の意見表明とは違います。

しかし、今日でも「アジアは一つ」を誤解したまま、そうした信念のもとに言う人にときどき出会いますし、「東アジア共同体」の基本構想への理解にもそうした通奏低音が流れていないとも断言できないと考えるのです。

ところが、いわゆる「右翼」と呼ばれた思想家にも、深い教養に裏打ちされた理念はあっても、「だからアジアは一つにすべきだ」といった乱暴な意見は読み取れないことが多いのです。例えば、大川周明の1939年出版の『復興亜細亜の諸問題』にも、欧州がいかにアジアを侵略し、収奪し、蹂躙してきたかについては述べられていますが、それ以上のことは記されてはいないのです。(もちろん、大川は、いくつかのクーデター未遂事件に関わったと言われ、5.15事件では武器供与で禁固5年の刑を受けて、極東裁判ではA級戦犯の指定を受けていることは事実なのですが。)

ところで、アジア各地に実際に行ったり、アジアの人たちと関わった経験があれば、アジアが決して一つではないことは身をもって感じると思います。

中国などは、広大な国で多民族・多文化国家ですから、常に民族問題に悩まされていますし、インドネシアの1万8000以上と言われる島々や海にも多様な民族と文化が生きています。そのため、インドネシアは独立に当たって、中世以来の概念「多様性の中の統一」をスローガンとして掲げなければならなかったわけです。それほど広大とは言えないベトナムですら、北部と南部とでは言葉や文化も微妙に異なります。一国の中ですら、そうなのですから、アジア全体となったら欧州以上に複雑な民族構成であり、文化も大きく異なります。

こうした地域をEUのように一つの共同体としてまとめていくためには、気の遠くなるような時間とエネルギーを必要とするに違いありません。それに、だいいち、その実現性は本当にあるのでしょうか。

そのための出発点としては、「アジアは一つではない」という現実を踏まえることから始めなければならないはずです。

日本にその認識があるのかどうか、私は、まだ確信が持てないままでいます。