ホーチミンで考えた−日本留学の形態の多様化
午後、ホーチミンに着きました。夕方からは涼しいです。
留学生を受け入れるとき、途上国からの受け入れには、日本では奨学金を用意しなければならないと考えられがちです。
ベトナムからの留学生数は、毎年、10%以上の伸び率で、このところ中・韓・台に次いで第4位の在日留学生数となっていますが、しかし、4,300人を超える留学生の多くが奨学金を受けているとは考えにくいです。
たしかに、日本での生活も勉学も経費はかかるかも知れませんが、アルバイトをしている留学生もいるし、中には、仕送りがあり、奨学金やアルバイトの必要も、それほどない人もいるのです。
留学生の受け入れを考えるときに、そろそろ発想の転換をする必要があるように思うのです。
国際教育を産業と位置づける欧州や豪州の場合、やはりそれ相応の留学しやすい体制や、引きつけるための広報戦略を持っているために、奨学金を用意しなくても、自国で費用を調達して留学してくる人も少なくないのです。
日本では、それがまだ十分には出来ていない。
もちろん、成績優秀者に奨学金を出すことには賛成ですが、それは、いわば経済支援的側面の強い日本での留学生のための奨学金とは意味合いは異なるはずです。実情をよく知っている日本にいる留学生たちは、「奨学金が当たる」と、宝くじのように表現します。
では、どうするべきなのでしょう。どんな手だてが考えられるのでしょう。
「これをやれば間違いない」といった決め手はないようには思うのですが、留学生受け入れ先進国に共通しているのは、やはり若者が関心を抱くような、その国の魅力を上手に発信しているということは指摘できるのではないでしょうか。
もちろん、これはその国の高等教育についての情報発信も、当然ながらそうなのですが、それ以外の、総合力としての魅力についての発信が日常的に幅広く行われているということだとも考えます。
その意味で、ここにも何度も書いているように、最近の韓国の広報戦略はきわめて優れていますし、その半分でも日本ができれば、相当な力になることでしょう。
あるいは、海外の若者のための”お試しコース”としての「スタディー・ツーリズム」についても6月29日に、ここで提案したとおりで、近い将来の日本語学習者や留学生を増やすことにつながると思います。*1
留学生を増やすための「決定打」はなくても、さまざまな方法をもってして、海外の若者が日本の良さに触れる機会を増やしていく努力を続けなければならないでしょう。それにかける経費を、これまでよりも多少なりとも増やす必要があります。
あるベトナムの元留学生が、日本には自然だの、人々だの、良い面がたくさんあるし、それは、ポップ・カルチャーなどと共にアジアの若い人たちを引き付ける要素だ、と話しています。こうした面も、日本人自身がもう一度、振り返る必要もあるように思います。
ホーチミンの街で韓国企業の広告を多く見たり、ホテルの部屋の大型液晶テレビの「SAMSUNG」のメーカー名の表示や、そのテレビで流れているベトナム語に吹き替えた韓流ドラマをチラッと目にしたりしながら、改めて、以上のようなことを考えました。
*1:「スタディー・ツーリズム」は、どうだろうか? http://d.hatena.ne.jp/keishu48/20110629/