さらに、ホーチミンで考えた−「多文化主義」はイスラムとの妥協だったのか

ノルウェーオスロ郊外で22日の起きた銃乱射事件と、同一犯人と推測されているオスロ市内での爆弾テロによる死者は合計92人になったとの痛ましいニュースが入ってきています。*1

報道によれば、容疑者は移民制限を主張する進歩党の元党員で、極右組織と関係があるキリスト教原理主義者だと警察は言っているとのこと。フェイスブックで自らを保守主義者と紹介していて、警察はイスラム教に反感があるようだとの見解を示しているそうです。

欧州では、英・独・仏に限らず、移民排斥の動きを支持する層が増えていると言われます。豊かで平和な印象が強いノルウェーでもこうした傾向は強まりつつあることの一つの象徴と理解すればいいのでしょうか。

豊かな経済を支えるために、移民に対しても寛容だった北欧諸国で、そこを訪れれば、アジアやアラブ諸国からの移民がかなり多いのが目立ちます。大学の研究室などを訪れても、そうした途上国出身の研究者などに出会います。

欧州の移民排除の動きの背景には、二つの要素が絡まっていると思われます。

一つは、従来の産業構造を支えるために他地域からの労働者や移民を受け入れてきたのですが、いったん、経済が下向き、失業率が上がると、他地域からの移民などへの反感や憎悪が社会に生まれてくるようになったという経済的、心理的側面です。

もう一つは、10年前の「9.11」を明確な契機として、反イスラムの動きが欧米社会全般に大きく盛り上がってしまったことです。イスラム原理主義者の一部の過激な行動が、世界の非イスラムの社会に、「イスラム」と十把ひとからげにして敵視するような流れになってしまったという社会の動きの側面です。

独・英などの「多文化主義の失敗」という国家の政治リーダーたちの宣言の背景には、明らかに、この二つの要素が大きくからんでいます。

そして、欧州で言う「多文化主義」とは、主に「イスラムとの妥協」と位置づけられていると解釈すべきなのかも知れません。

こうしたことの専門家ではないので、これ以上、詳細なことに私は言及できませんが、上述のことは、「交流が進めば相互理解が生まれる」といった皮相的で単純な善意による理解を超えたこととして、さらに各分野でも、より深く検討し、考えなければならないことだと信じます。

今回のオスロの事件の容疑者は、韓国や日本を移民排斥国として称賛しているそうですが、韓国はご承知のとおり、アジアでは、その人口に比べて有数の移民国家へと変貌しつつあります。

いっぽう、日本では、歴史的に海外からの移民には厳しい制限を加えてはいますが、代わりに、「研修生」などの名目で、なし崩し的に海外からの労働力を入れてきています。こうした、日本ではありがちな、曖昧なままにものごとを進めてしまう体質は、あと10年もしたら必ず対外的・国内的問題が多く出て、厄介なことになることは自明です。今すぐに、これについても検討するだけでなく、動きを決めなければならないときだと考えます。