在住外国人と非常時の支援態勢

1923年9月1日の関東大震災当日夜から始まった「朝鮮人狩り」と比べると、さすがに今昔の感がありますが、近年では在住外国人も日本人と同じ地域住民であるという考え方が、ようやっとのことで一般化しつつあるように思います。

とくに今年は、3.11があり、外国人留学生を始め、在住外国人の震災等への対応についても関心が集まっています。

こうした支援態勢が明らかに変わったのは、1995年の阪神淡路大震災以降のことと言えます。NPOでは、阪神淡路の直後に田村太郎さんが、「多文化共生センター大阪」*1(の前身)を立ち上げて活動を始め、京都、神戸、東京、東海がこれに続きます。

一般にNPOの動きのほうが早いのですが、多くの自治体でも、日本人と同じ地域住民としての外国人へのサポートを配慮するようになって来ました。

自治体のホームページや市や区の「生活便利帳」のようなものを見ても、今日では、たいていは英語・中国語・ハングルなどの案内もあって、一時よりはずいぶんと変わってきたと感じます。

しかし、3.11のような広域で大規模な災害があった場合に、日本人住民ですら、その安全確保が難しいのに、たとえ、英・中・ハングルの案内があったとしても、それを読んでいるかどうか、あるいは、日本語も、用意されている言語も、十分には分からない地域住民もいるわけですから、それにどう対応して支援できるのかという課題もがあります。

今後、日本人住民にも外国人住民にも、さらにきめ細かく、現実に即した対応を素早くできるように改善しなければなりませんし、また、より手厚い支援策が必要です。

つねに興味深い記事を多く掲載している雑誌「イミグランツ」の第4号が最近刊行されましたが、同誌でも震災の特集をしています。*2

その中で、東大学術研究員の包聯群さんの多文化社会研究会での報告は興味深いものです。詳細は同誌をお読みいただきたいのですが、在日外国人の中でも、日本に慣れ、日本語も堪能な包さんが、翻訳ボランティアをしたりで、1日10時間以上もそうした活動をしたり、日本語がまだ不自由な後輩の留学生を助けたりといった状況が報告されていて、日本人が外国人を支援するだけではなく、日本により慣れている外国人が、まだ十分慣れていない同国人を支援するという形が紹介されていて、もう一つの支援のあり方を提示しています。

余談ですが、包さんは、8月23日の米国東海岸地震にも遭遇してしまい、地震に慣れていない米国社会の慌てぶりをあるメルマガで報告し、日本の建物の耐震性に感謝していました。

*1:「多文化共生センター大阪」http://www.tabunka.jp/osaka/

*2:多文化情報誌Immigrantsイミグランツ http://www.imin.co.jp/immigrants/index.html#magazine4