「日本の若者はよく分からない」のか?

富山に留学中のある中国人女子学生がそのブログに、「日本の若者は、よく分からない」と書いています。*1留学生活で接する日本人学生などについての戸惑いをつづっています。

日本に留学して1年が過ぎ、仲の良い友だちは何人かできたけれど、親友と呼べる人はほとんどいない。親しいと思っていた人に悩みを打ち明けても、意外と冷めたい反応が返って来る。表面的には仲良しでも、目に見えない壁のようなものを感じる。

これは、ご承知の向きも多いと思いますが、多くのアジア人留学生からほとんど共通して聞かれることです。心理的な対人距離が違っていることが原因かも知れませんね。「友だち」とはどういう範囲の人を指すか、「知り合い」という範疇の人たちは、どのように存在するのか、「他人」とはそういった人たちか、というような概念が微妙にずれていると、こうした悩みも深くなりがちです。

日本人学生はいつも自分のことばかり考えていて、他人への興味が薄いみたい。でも、それは富山という土地柄とも関係があるのかも知れない。富山は静かな小さな街だけど、ときに静かすぎて活気がないと感じる。関西人のように、にぎやかな笑いを好む雰囲気もなく、冗談を真面目に取られてしまいそうだし。週末、街の中心に行っても、死んだように静かなの……。

関西人は賑やかな笑いや冗談が好きで、富山の人は真面目で冗談が分からないと感じているようです。また、街が静かすぎると思えるのは、彼女が生まれ育った中国の街はいつも賑やかなのかも知れません。彼女は関西に行ったら楽しく暮らせるのでしょうか。あるいは、吉本のタレントが出るテレビ番組を見過ぎているのでしょうか。

日本の若者は男女の性別が逆転しているかのように見える。女性は男言葉を使うし、男性が顔にメイクしたりする。でも、男性のメイクは見ると鳥肌が立つ。男性の方はすごく消極的で、いつもあいまいな態度。何を考えているのかよく分からない。日本人の彼氏を作ることを考えたら、一生独身でいる方がましだと思ってしまう。

富山では男性がメイクするんですかね。それとも眉の形を整えたりといったことでしょうか。日本人男性があいまいに思えるのは、たんにいわゆる「草食性」になっているからなのでしょうか。

日本人学生はあまり勉強熱心ではない。たいていは学校、サークル、アルバイトの三角形をぐるぐる回っているだけ。だから共通の話題も見つかりにくくて、休みの日に何しているか聞いてもほとんど返事が返ってこない。定年後の老人としゃべっている方がましだと思えてくる。日本人はあいまいすぎて、何を考えているのかよく分からない。もっとストレートに言えばいいのに。

日中の間でコミュニケーション・スタイルが違っているということもあり得ますが、たしかに日本人学生との共通の話題がないとも留学生からはよく聞きます。日頃の関心が違いすぎるのでしょうか。歴史、政治、社会のことにほとんど知識も関心もなく、スポーツ・芸能ネタや当たり障りのない軽い話題しか話さない日本人学生と共通の話題を見つけるのはなかなか難しいのは事実かも知れません。

こんなことを書いていたら、中国に帰りたくなってきてしまった。ストレートに興味深い話をする中国人と話がしたくなってきた。年がら年中「わぁー、カワイイ!」なんてばっかり言っている日本の女性や、本心がよく分からない男性と一緒にいると、何だか頭が重くなる。

この留学生自身が富山という街の風土や人々ととけ合えていない、という解釈もできます。また、周囲が彼女に十分な理解を示してないという見方もあり得ます。

一つには、時間的経過として留学1年目というのは、日本語も相当理解できるようになり、周囲の環境のこともかなり分かってきた段階ですから、当初の高揚した緊張感と明るい希望に満ちた時期から、次第に現実を見て落ち込む時期に当たっているので、この時期をうまく過ごせれば、また、適切な適応を示すようになると考えられます。

もう一つは、たぶん、彼女と周囲の日本人のどちらかが悪いということではなくて、こうした異なった文化を背負った者同士の接触過程で、両者をうまくつなぐ方法や機会に恵まれていないということではないでしょうか。

日本語学校、大学など、また、地域社会で、こうした異文化不適応の要素を早く見つけ出して、より良い方向に導いていける方策が、留学の成功のために必要なのです。

*1:对于日本年轻一族的疑惑 夢旅人的博客 http://blog.sina.com.cn/s/blog_6b05d5670100s79v.html