「日本は文化国家ではないので……」

「日本は文化国家ではないので……」と私もときどき言います。

留学生政策を念頭に言うことが多いのですが、本気でそう思っているというよりは、遅々として政策が進まない苛立ちで、つい、自嘲的にそう言ってしまうことがあるのです。

私がこの仕事の世界に飛び込んだのが大学卒業後すぐで、当時の在日留学生数は3,000人台だったかと思います。以来、ご承知のとおり留学生数は一時の停滞や減少はあったものの、つい最近までは、ほぼ右肩上がりに伸びてきていました。留学生関連の国の予算は、総枠で一時よりかなり減ってきてはいますが、さまざまな工夫がされてきてはいると思います。

こうした具体的な現象面のことではなく、ときとして無力感を覚えるのは、日本の文化政策や国際教育交流政策が、場当たり的で、たまにアドバルーンを上げたかと思うと、次第にウヤムヤのうちに消えていくといったことが、見られることが多いからです。

1983年にされ出た「10万人計画」は予定よりは達成がやや遅れたものの、何とか実現しましたが、2008年に思い出したように出された「30万人計画」まで、所管官庁である文部省/文科省や大学などの現場は決して忘れてはいなかったはずですが、政策的には、どうも空白期間が長かったように思えます。

よく、「留学生は票にならないから」と、政治家がこれにあまり関心を示さない理由に挙げられます。

しかし、どうなのでしょう。海外からの留学生受け入れにしても、今日では国際人財の必要が叫ばれ、企業の活性化の一つの切り札のように見る向きもあります。また、日本人の海外留学にしても同様に、世界に伍していける日本の産業を担う国際経験のある日本人の若者の育成の必要性が注目され、本当に事実かどうかは検討の余地がありますが、「若者が内向きになっている」と嘆くのが最近の潮流となってしまっています。以上のことからしても、政治家も関心を示し、「票」にも結びつく問題となっていることは明らかです。

「10万人計画」は中曽根康弘首相のとき、「30万人計画」は福田康夫首相のときに出されたものです。前者がほぼ順調にいった背景には、とくに85年のプラザ合意以降の日本経済の世界的な進展も力となり、日本の国際的な役割が強く意識されたことがありました。後者については、見逃されがちではあるのですが、福田康夫さんの父の福田赳夫さんが東南アジア諸国の元日本留学生たちを支援し、ASCOJAという組織をASEAN諸国に作るのを支援したということがあり、東南アジアでの各界のリーダーを輩出してきたASCOJAの主要構成員たちと福田親子との関わりが生きているという側面があると考えられるのです。

「10万人計画」は、日本が経済力をつけてきて、欧米諸国に伍していこうというときに出され、「30万人計画」は、「空白の20年」がいつまで続くのか、と思えたときに一つの打開策として示されたと見ることも出来ますが、後者には人と人とのつながりも背景にあったことを知る必要もあるでしょう。

政権が民主党に移っても、「30万人計画」は、さらに、30万人の日本人学生も海外に出そうという構想が加えて打ち出され、期待したいと思います。一方、ハーバード大学の学長がセールスに日本に来て日本人学生が減ったとマスコミや大学に訴えたり、ワシントン・ポスト紙の記者が日本人の米国留学の減を書き立てて日本のマスコミもそれに追随したなどということではなく、日本社会の今後の強靭さとしなやかさを培うためにも、自分たち自身の問題として、国際教育交流を考え、留学生の受け入れと送り出しを一体のものとしながら、政策に生かしていけることが大切だと思うのです。

政治家にしても官僚にしても、また、教育現場や企業にしても、中長期展望を踏まえた人財育成計画の主要な要素の一つに国際教育交流を位置付けていくべきでしょう。

そうすれば、「文化国家ではないので……」と自嘲することも多少とも減るのではないかと思うのです。