海外留学エージェントの第1回の認証

今日、一般社団法人 留学サービス機構(J-CROSS)*1による日本の留学事業者の初めての認証結果の発表を行い、東京 神楽坂の事務所で認証式を行い、NHKテレビの取材*2も受けました。

審査のポイントは、

 ・授業内容や滞在先の内容、費用など重要事項の説明、記載書面の交付
 ・クーリング=オフ的制度を含めた適正な契約変更・解除規定の契約への明記
 ・ホームページやパンフレットにおける広告や表示の適正化
 ・前受金に関する措置

などの点です。

今回は、21留学事業者から申請があり、次の15事業者が認証されました。

株式会社 アイエスエイ
株式会社 アイネッツ国際教育
株式会社 アーク・スリー・インターナショナル
IGE(Institute of Global Education)
株式会社 EIEN
株式会社 エスティーエートラベル
一般財団法人 国際教育文化交流協会
株式会社 国際交流センター
株式会社 地球の歩き方T&E
株式会社 DEOW
特定非営利活動法人 日本国際交流振興会
株式会社 ネクシスシャパン
株式会社 ユーティ−エス
株式会社 ユナイテッドツアーズ
株式会社 留学ジャーナル
(50音順)

また、今回、改善点が指摘され、認証されなかった事業者についても、原則として、今後、認証基準をクリアし次第、順次認証する予定です。

さらに、現在も第2回の申請受付中で、今月末には締め切ります。以降、3か月ごとに申請を受け付け、審査をして、認証していきます。

この事業は、留学事業者を通じて留学しようという人たちのために、その事業者がJ-CROSSが設けた認証基準をクリアしているか否かをチェックし、基準に達していると認められる事業者を認証し、消費者である一般の利用者に一定の安心材料を提供しようというものです。

これにより、留学事業者の質を一定に保ち、留学の振興につなげようという趣旨であるわけです。

今後、さらに認証される事業者が増えていくことを願います。

*1:一般社団法人 留学サービス機構(J-CROSS) http://www.jcross.or.jp/

*2:留学あっせん業者に認証マーク http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120424/k10014690651000.html

メコン流域への支援策に人材育成がどれだけ含まれているのか?

ご承知のとおり、先週土曜日の21日、「日メコン首脳会議」が迎賓館で開催され、野田首相と、カンボジアラオスミャンマー、タイ、ベトナムの各首脳の出席のもと、メコン流域の5か国も構成員であるASEANが2015年に共同体を発足させることを前提に、国境をまたぐ幹線道路の整備など5か国の連結強化や経済成長を促す基盤づくりのために、日本が今後3年間に約6000億円のODA供与などを盛り込んだ「日メコン協力のための東京戦略2012」を採択しました。

野田首相は、「メコン地域の開発と発展は東アジアの発展と安定の鍵だ。わが国のメコン地域重視の姿勢は不変で、今後も成長と繁栄を共有する環境を整備していくつもりだ」と語ったとのこと。*1

アジアでは、日本、中国、韓国、インドなどの経済発展に、大なり小なり陰りが見え始め、東南アジア地域の経済発展に世界の熱い目が注がれているところですが、いつもながら気になるのは、こうしたインフラ整備中心のODAによる支援策に、「人の育成」が見えないことや、仮にあるとしても、インフラ整備に付随する、オマケのようなものでしか、今まではなかったことなのですが、果たして今回の支援策に、人財の養成は、どのくらい含まれているのでしょうか。

戦争による支配やモノやカネを移動するだけの支援よりも、人の交流や教育の支援のほうが、中長期的には、はるかに投資効果が上がることは明らかであるのにもかかわらず、もし、今回もモノの支援に極端に偏っているようなら、まだまだ日本は「土建屋国家」の誹りを免れないのではないかと、気になっているところです。

いつになったら、日本は、ソフトウェアの整備と拡充に、もっと力を入れられるのでしょうか……。*2

*1:メコン首脳会議:5カ国に6000億円のODA拠出合意 http://mainichi.jp/select/news/20120421k0000e010181000c.html

*2:参考:日メコン首脳会議フォローアップ−我が国の取組−(外務省HP)http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/j_mekong_k/s_kaigi03/pdfs/fu_1111_jp.pdf

ベトナムからの看護師・介護福祉士候補者の受け入れ

日本政府は4月17日、EPA経済連携協定)に基づき、従来、フィリピンとインドネシアから受け入れてきた看護師と介護福祉士の候補者をベトナムからも受け入れることを決定しました。*1

インドネシアとフィリピンからの看護師候補者の国家試験の合格率が、言葉の問題などで芳しくなかったこともあり、入国時に日本語能力試験N3以上の認定の取得を求めことに決まりました。事前にベトナムで1年間の日本語研修を行い、順調にいけば来年、最初の候補者が来日予定とのことです。来日して、2〜3か月は、日本語や日本の社会・文化などの研修を行うことになります。N2に合格している場合は、日本語研修は免除になります。
看護師候補者になるには、ベトナムで3年制か4年制の看護課程を修了し、看護師としての2年間の実務経験と、看護師国家資格の取得を求めています。日本での滞在期間は他の国の候補者同様、最長3年で、3回まで国家試験を受験できます。

介護福祉士候補者も、ベトナムでの看護課程の修了を条件とし、日本の介護施設で3年間就業してから国家試験を1回受験できることになっています。他に、就労しないで、2年制以上の養成校を卒業して国家試験を受ける「就学コース」も設けられます。

じつは、日本は、タイとインドともこの制度による看護師・介護福祉士の日本での研修と日本の国家資格取得、就労を検討しています。

欧州同様、日本でも少子高齢化と就労人口の減により、外国人労働力をどう入れていくかが、深刻な問題となっていますが、看護師・介護福祉士は、一つのテスト・ケースとして、今後の日本の外国人労働者受け入れの課題の方向性を考えるきっかけとなり得るでしょう。

*1:来日前の日本語研修支援 政府、ベトナム看護師対象に http://www.asahi.com/health/news/TKY201204170749.html

日本留学情報の発信が、まだ足りない!

今日、友人を介して中国で日本留学ガイドを出版する準備をしている方々とお会いしました。

中国からはたいへん多くの留学生が来ているのはもちろんですが、中国政府公認の留学エージェントも1,000を超えるとのお話でした。

ただ、やはり公平で正しい情報が必ずしも行き渡らず、日本留学希望者たちは、質の良いエージェントの適切な助言が得られるか否かにより、その留学の成否も大きく左右されてしまうということのようです。

32年前に当時のAIEJに「留学情報センター」が設置され、海外からの問い合わせも次第に多くなり、翌年、"ABC's of Study in Japan"という英文の小冊子を作成し、英字紙等にも何度も取り上げられ、おおかたの好評を得たので、翌年、中国語版とハングル版を作ろうとして当時の関係者たちに反対されたことを今もってよく覚えています。

理由は、「おおぜい来ているということと来てほしいこととは違う」というものでした。留学生受け入れ担当者が、何というアジア人差別!

もちろん、その関係者がご存命かどうか知る由もありませんが、何れにせよ今は昔の話です。

その後、英文による大学案内"Japanese Colleges and Universities"を編著し、改訂しつつ何年か(株)丸善のご協力を得て出版しましたが、そのうち、経費が安いウェブ版になり、今日も続いています。

それだけに限らず、今は、JASSO、外務省、アジア学生文化協会などのウェブによる情報発信が主流になりつつありますから、これについても、情報をますます充実していくべきでしょう。

今日お会いした方々は、日中国交回復40周年のために、より適切な日本留学情報を中国の留学希望者に提供したいとの熱意をお持ちでしたので、もろ手を挙げて賛成しました。

中国からの留学には、私は直接関わってはいませんが、こうした正しい情報提供は、どの国・地域を対象にしても、どんどん進めるべきだと考えます。透明性のある日本留学情報の提供を進めることが、健全な日本留学を育てると信じます。

ASEANの元日本留学生たちとの絆が切れようとしている?

ASEAN各国には、1977年にスタートした元日本留学生会ASCOJA(ASEAN元日本留学生評議会)が組織されていて、元日本留学生同士の交流や日本の各界との交流を行ってきました。

これは、1974年に開始された外務省の「東南アジア元日本留学者の集い」が発端となったものです。「集い」は、福田赳夫蔵相(当時)が呼びかけて開始された事業で、その発展型として、日本との交流はもとより、アセアン域内での連携も強めようというのが趣旨です。

日本側のカウンターパートとして、当初は、外務省・文部省共管の(財)アジア留学生協力会が設立され支援策を行っていましたが、途中、運営上の問題があり、今日では、外務省所管のASJAインターナショナル*1という組織がその日本側の支援組織となっています。

ASCOJAの参加国は、現在、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ブルネイミャンマーカンボジアベトナムの計9か国で、日本留学を経験した人たちの組織が各国にあり、そのリーダーたちは、その国で各界をリードしているだけでなく、日本との太いパイプ役を務めている人たちが大半です。

ところが、そのASJAの予算が次第に削減され、そのASEAN諸国からの留学生受け入れ事業は終了しようとしています。

ASEAN各国におけるASCOJAに対する支援は、どうなっているのか、外務省予算のなかの帰国留学生支援予算の詳細を見ないと分かりませんが、少なくとも当初予算額で4年前の6割ほどに減って、5900万円になっているようです。*2

別のデータ*3を見ると海外の帰国留学生会組織は341組織あるそうですから、支援のための当初予算額5900万円は、いかに少額な予算であるか分かります。

さて、こんなお粗末なことで、日本をよく理解し、日本に友人を持ち、ときには日本の代弁者となってくれる人たちとの絆を危うくしていっていいのでしょうか。私は、たいへんに危惧せざるを得ないのです。

とりあえず、関係者はこのことをもっと声を大にしてあちこちに知らせるべきかと思います。

「日本は文化国家ではないので……」

「日本は文化国家ではないので……」と私もときどき言います。

留学生政策を念頭に言うことが多いのですが、本気でそう思っているというよりは、遅々として政策が進まない苛立ちで、つい、自嘲的にそう言ってしまうことがあるのです。

私がこの仕事の世界に飛び込んだのが大学卒業後すぐで、当時の在日留学生数は3,000人台だったかと思います。以来、ご承知のとおり留学生数は一時の停滞や減少はあったものの、つい最近までは、ほぼ右肩上がりに伸びてきていました。留学生関連の国の予算は、総枠で一時よりかなり減ってきてはいますが、さまざまな工夫がされてきてはいると思います。

こうした具体的な現象面のことではなく、ときとして無力感を覚えるのは、日本の文化政策や国際教育交流政策が、場当たり的で、たまにアドバルーンを上げたかと思うと、次第にウヤムヤのうちに消えていくといったことが、見られることが多いからです。

1983年にされ出た「10万人計画」は予定よりは達成がやや遅れたものの、何とか実現しましたが、2008年に思い出したように出された「30万人計画」まで、所管官庁である文部省/文科省や大学などの現場は決して忘れてはいなかったはずですが、政策的には、どうも空白期間が長かったように思えます。

よく、「留学生は票にならないから」と、政治家がこれにあまり関心を示さない理由に挙げられます。

しかし、どうなのでしょう。海外からの留学生受け入れにしても、今日では国際人財の必要が叫ばれ、企業の活性化の一つの切り札のように見る向きもあります。また、日本人の海外留学にしても同様に、世界に伍していける日本の産業を担う国際経験のある日本人の若者の育成の必要性が注目され、本当に事実かどうかは検討の余地がありますが、「若者が内向きになっている」と嘆くのが最近の潮流となってしまっています。以上のことからしても、政治家も関心を示し、「票」にも結びつく問題となっていることは明らかです。

「10万人計画」は中曽根康弘首相のとき、「30万人計画」は福田康夫首相のときに出されたものです。前者がほぼ順調にいった背景には、とくに85年のプラザ合意以降の日本経済の世界的な進展も力となり、日本の国際的な役割が強く意識されたことがありました。後者については、見逃されがちではあるのですが、福田康夫さんの父の福田赳夫さんが東南アジア諸国の元日本留学生たちを支援し、ASCOJAという組織をASEAN諸国に作るのを支援したということがあり、東南アジアでの各界のリーダーを輩出してきたASCOJAの主要構成員たちと福田親子との関わりが生きているという側面があると考えられるのです。

「10万人計画」は、日本が経済力をつけてきて、欧米諸国に伍していこうというときに出され、「30万人計画」は、「空白の20年」がいつまで続くのか、と思えたときに一つの打開策として示されたと見ることも出来ますが、後者には人と人とのつながりも背景にあったことを知る必要もあるでしょう。

政権が民主党に移っても、「30万人計画」は、さらに、30万人の日本人学生も海外に出そうという構想が加えて打ち出され、期待したいと思います。一方、ハーバード大学の学長がセールスに日本に来て日本人学生が減ったとマスコミや大学に訴えたり、ワシントン・ポスト紙の記者が日本人の米国留学の減を書き立てて日本のマスコミもそれに追随したなどということではなく、日本社会の今後の強靭さとしなやかさを培うためにも、自分たち自身の問題として、国際教育交流を考え、留学生の受け入れと送り出しを一体のものとしながら、政策に生かしていけることが大切だと思うのです。

政治家にしても官僚にしても、また、教育現場や企業にしても、中長期展望を踏まえた人財育成計画の主要な要素の一つに国際教育交流を位置付けていくべきでしょう。

そうすれば、「文化国家ではないので……」と自嘲することも多少とも減るのではないかと思うのです。

今こそ、「ワンストップ・サービス」が必要

30年ほど前から、海外に行くと「日本の大学から来る人が、来るたびに違う人で、そのたびに同じことを尋ねられ、私たちも何度も同じことを答えてきましたが、状況はちっとも改善されません。」と言われることが多かったのですが、今でもその傾向はあるのでしょうか。

以前なら、海外に行くこと自体が、それこそ一大事で、したがって、「不公平」にならないように「順番に」替わるがわる出ていた、といった時代もあったかも知れませんが、まさか、今日も、まだそうであるとも思えません。その頃は、東京駒場のAIEJ(当時)の会議室に集まっていただき、事前に説明会などを開催したものです。出席者の中には、なぜか訳もなく力が入って緊張している大学の教職員も見受けられました。慣れていない人が多かったということなのでしょう。

AIEJ/JASSOの「日本留学フェア」などに来る大学の教職員も、海外に来てみて初めて、留学を考える若者たちの様々な状況に気づく人も多かった時代もあったかと思います。

大学でも、学内の組織的にも海外担当の機能が集約されていなかったのですね。

海外の人たちにとっては、日本の役所や団体のそれぞれの所掌範囲は分かりにくく、大使館に訊くほうがいいのか、AIEJ/JASSOに尋ねるべきことか、国際交流基金のほうがいいのか、それともJICAなのか、あるいは、JSPSか…と迷うことも多いわけです。そして、海外のそうした機関や団体の窓口も、多くは散在していて、1回で用が足りることのほうが少ないこともしばしばです。

例えば、クアラルンプールのジャラン・アンパンにある大きくて立派なブリティッシュ・カウンシルには、英国留学の窓口や資料室、英語学校、教員研修、技術研修、IELTSなどの試験の機能が集約されていて、昔、私はそれを羨ましげに横目で見ながら、当初は丘の上の住宅街の分かりにくい場所にある帰国留学生会の建物の奥に看板も出さすに開設されたAIEJの事務所に屈辱的な思いで行ったものです。

その後、海外事務所の担当になり、バンコクジャカルタは、国際交流基金と同じビルに事務所を開設しました。霞が関ではいざ知らず、現地では、当初恐れられていた摩擦などは起きるはずもなく、相互に補完し合う役割は機能したと考えています。ただし、日本国内では所管の役所が違おうと、なぜ、別々にオフィスを構えなくてはならないかは、なかなか納得のいくものではありませんでした。

利用者にも不便だし、経費の節約にもなりませんから。

その後、ソウルにもAIEJの事務所を開設し、予算的には北京事務所まで認められたのですが、中国独自の諸般の事情もあり、北京では大使館の立派な広報文化センターが日本留学情報の提供をしています。

行革を進めてきた政府が、こうした窓口の一本化を、まだ実行できないでいることは、たいへんに残念なことだと、今も思っています。

利用者のためにも、予算の節約のためにも海外でのワンストップ・サービスを一日も早く実現したいものです。