コンケーンから来た小百合ちゃん一家

3日前にタイから電話があり、昨日、タイのイサーン(東北地方)随一の街、コンケーン*1近郊から、一時戻ってきた小百合ちゃん(仮名)一家に会いに成田空港まで行きました。

「小百合」は、日本名で、20年ほど前に日本に研修に来て、日本人のご主人と知り合い、結婚し、一女一男をもうけました。

農村部での「嫁」不足が進む中で、アジア出身の女性を「嫁」として迎える例は、地域によってはかなりあり、小百合ちゃんの嫁いだ地域でも、中国、韓国、フィリピン、スリランカなどからの女性が農家の「嫁」として嫁いでいます。

マスメディアでは、こうした現象をアジア人からの労働搾取という眼で捉えがちですし、悪質な国際結婚ブローカーが、法外な手数料を取り、人身売買と変わらない行為を続けていると非難しがちです。

もちろん、そうした例は東北地方や北関東などで散見されることも事実です。しかし、実態をよく見ると、そうした「嫁さん」たちの中にも、迎え入れた家族に大切にされ、コミュニティにも溶け込んで、それなりに幸せな生活を送っている人も決して少なくはないのです。

小百合ちゃんも、そうした一人でした。

しかし、数年前に、優しく、面倒見の良かったご主人が急逝し、昨年の3.11を機に、ご主人の母親の世話は親戚に託し、タイに戻る決意をしたのでした。ご主人は、長女が2歳になったときに、コンケーンに立派なマンションを買っておいてくれたのだそうです。

長女は、今、高校1年生で、日タイのバイリンガルで学年でも10位以内に入る優等生で、可愛いためにモテモテだとのこと。弟の長男は小学校6年生で、元気なやんちゃ坊主です。彼はタイ語にもまだ十分には慣れていないし、学校では英語の他に中国語も必修でたいへんだ、と文句を言ってはいましたが、子どもたち2人とも、ちょくちょくタイに連れて行かれていたため、言葉にはもちろん抵抗がないし、タイでの生活も、それなりに楽しい様子。

小百合ちゃんは、日本の永住ビザを持っているので、その手続きもあって、一時、戻ってきたのですが、大量の土産物で潰れそうなカートを押して空港の到着ロビーに現れました。こちらが持つのに苦労するほどの大きく重い手提げ袋を渡され、戸惑っていると「マイペンライ!(気にしないでよ!)」と笑うのでした。

ひと時、一家と空港で歓談し、一家の家が残る新潟県に出発するのを見送りながら、子どもたちは、将来、日本で進学するのか、タイで上級校に行くのか、分からないけれど、これからは、こうした、たくましく柔軟な国際人が日本にも増えていくのだろうな、と思ったのでした。

留学生の高校への受け入れ

先日、とある私立高校の方を知人からご紹介いただいたのですが、その高校では従来、中国と韓国から留学生を受け入れて来ているそうです。そして、今後、ベトナムからも高校生を受け入れたいとのご希望をお持ちとのことです。

交換留学とは違い、日本に受け入れて、3年の課程を修了してもらおうという計画です。

東京の国立の難関大学にも日本人生徒の合格者を出している教育をしている高校で、寮も完備しているとのことで、なかなか意欲的であると感じました。

留学生でも高校を日本で終えてしまうと、もし、大学進学をするなら、留学生特別選考ではなく、日本人学生と競争して入試を受けなくてはなりませんから、相当な努力が必要でしょう。

こうした意欲的な取り組みをする学校というのは、果たしてどんな教育をしているのか興味がわきました。

そこの理事長兼校長のご著書をいただき読んだところ、たいへんな苦労人のようですし、情熱家で、厳しい教育者でもあるようなのですが、また、温かな人情味にも溢れている人となりが感じられ、ますます、その高校への関心が強まりました。

こうした教育者の下で育つ留学生は、果たしてどんな人生を歩んでいくのかな、と楽しみにもなります。

しかし、中国や韓国には経済的にも日本留学に適応できる層が、今日、十分にいることは分かりますが、ベトナムでも、そうした層が、どのくらい増えてきているのか知りたいとも思います。

そうは言っても、現に日本語学校や大学などに5,000人以上が留学して来ているのですから、高校に留学しようという層も出現しつつあるには違いないでしょう。

それにしても、昨今、ベトナムの留学エージェントが現地で法外な手数料を取って、偽造書類で留学させようと試みたり、それを警告されても、そのエージェントを使う日本語学校があるなどといった穏やかでない情報を聞くにつけ、悪質なエージェントの排除をどうすべきか等々、日々、気になることは少なくありません。

『「安南王国」の夢 ベトナム独立を支援した日本人』

先月、盛岡にほぼ1か月滞在していたときに、あちらの書店で買い求めた本なのですが、480ページという大著で、かさばって重いのです。ラップトップを常に持ち歩いている身としては、この本も一緒に持って電車で読むのもたいへんなもので、しばらく放置してあったため、なかなか読み進めなかったのですが、今日、読み終わりました。

グエン王朝の末裔のクオン・デ、彼を奉ろうとしたベトナム独立の志士ファン・ボイ・チャウ、そして彼らを支援した松下光廣という人物を中心に描かれる戦前から戦後にかけての、まさに波乱の歴史ですが、著者である牧久氏は、日本経済新聞サイゴンシンガポール特派員でもあったジャーナリストの眼でもって、それを追い、調べ、記述しています。

もし、誰か卓越したストーリー・テラーが再構成して描いたならば、さらにドラマチックさが強調されるに違いない面白くて仕方のないストーリーなのですが、この著者はあくまでもジャーナリストとして、事実を冷静に記すことに努めています。

ベトナムを取り巻く歴史については、私は多少なりとも知っているつもりでしたが、この大著を読むうちに、いかに何も知らなかったかがよく分かり、一人恥じた場面も多くありました。終章にドンズー日本語学校のホーエ校長も登場し、いかにも彼らしいことを言っている記録もあります。

それにしても、ベトナムを中心とするアジアの近代と日本との関わりがこれほどまでに深く、複雑だったのかと、今さらながら思いを新たにした次第です。私たちが知っているつもりのアジアの歴史は、多くの場合、あまりに皮相的です。それをひしひしと感じた好著です。

一読をお勧めします。

秋入学にすれば大学が国際化するという勘違い

あえて苦言を呈したいと思います。

東大が秋入学を検討し始めた途端に、あちこちの大学が同じようなことを言い始めました。

秋入学にすれば大学は国際化するのでしょうか。時期だけずらせても何の意味もないことは誰にでも分かると思うのですが。

日本人学生が海外に留学するのにも、海外から留学生を受け入れるのにも、秋入学のほうが学生にとって時間的な無駄がない、というのも大きな理由のようです。

しかし、考えてみてください。日本人が海外に留学するのに、4月に学年が開始されない国を敬遠しますか。留学するのに魅力があれば、半年くらい待つのは、どうということはないでしょうし、むしろ、その半年を留学準備に使うのではないでしょうか。

同様に、海外から日本に留学する人にとっては、半年は準備期間として使えるので、とくに困らないはずです。もし、仮に日本留学が十分に魅力あるものであるのなら、の話ですが。

したがって、「大学の国際化のために」秋入学にする、という論議は本末転倒であって、大学が国際化に対応できる内実を具えることが優先されなければならないのです。

その多くの要素の中で、秋入学を検討するのなら、それはそれで、もちろん理解できます。

というか、私は、入学時期に関して言えば、秋入学に変更するのではなく、年に3〜4回は入学できる体制に変えて、柔軟に対応すべきだと考えています。

もちろん、秋入学に変更するより、大学にとっては負担が大きいことは分かりますが、入学時期一つ取っても、それくらいの覚悟で大学を改革していかないと、諸外国・地域の大学と競争していくことはできないのではないでしょうか。

明日の日本、明日の世界をつくるために国際教育交流は不可欠だ。

100年先を見るなら人をつくらなければならないことは、多くの人が認めることですが、果たして、現実はそうなっているでしょうか。

教育は大切、と誰もが言います。それは、例えばわが子がより良い人生を送れるように、という発想に基づくことが多く、決してそれは間違ってはいません。

しかし、「わが家」を視野に入れたこの発想が、「地域社会」、「日本社会」、「アジア」、そして「世界」へと広がっていくときに、海外との関わりなしには一日たりとも過ごせない今日、いかに国際教育交流の振興を進めるべきかという課題が加わってきます。

あるいは、より良い学生を育成することは、より優れた社会人をつくることにつながり、より豊かな国や世界を実現することにつながると考えても、一国のみに限定された教育という発想は意味を持ち得なくなります。

そうした意味でも、国際教育交流の拡充は、欠かすことのできないものだと私は考えるのです。

では、日本の現実はどうなのでしょう。100年先を見据えていると言えるでしょうか。貧困な発想で、その日暮らししかできていない懸念はないのでしょうか。100年後の日本は、これまでと同様の豊かな社会でいられるのでしょうか。

日本への留学が減っている原因は、じつは、これだ!

日本留学が減っている要因にはいくつも考えられます。しかし、その最大の原因は何なのでしょうか。

原因を絞って特定するのはきわめて困難であることは百も承知の上で、あえて挙げれば、次の3つでしょう。

1.一貫した国際教育交流政策がない。あるとしても、実効性が弱い。

2.省庁縦割りの政策により、投資効果が見えにくい。

3.民・学・官などのセクターは分断され、日本留学の魅力が無駄に費えてしまっている。

「3.11と放射能汚染」も「円高」も「春入学」も、じつはそう大きな問題とは言えないと私は考えます。日本全体の魅力が一時よりなくなっているとも思いません。

上の1については、例えば英国のブリティッシュ・カウンシルのような機関があって一貫した国際教育交流留政策を強力に推進できる仕組みが日本にもあれば、かなり解決できますが、日本の政府関係団体はすべて中央官庁の下にぶら下がっている形態のために、それが非常にやりにくくなっています。

2と3は、1の問題の背景と同様です。

では、どうすればいいのか。

これは、じつは役所の問題ではなく、政治の問題なのです。国際教育交流政策は、政治レベルの課題なのに、この国の政治家のきわめてわずかしか、これに関心を持っていないからなのです。

その働きかけをするのは、これに関わる私たちだと考えています。

さぁ、どうしましょうか……。これから、考えながら、ぼちぼち、アイディアを出していこうと思います。

では、日本留学エージェントの質の向上をどう図るのか?

昨日、J-CROSS*1の認証式について書きましたが、今日、留学エージェントは許認可制でも登録制でもないので、実態はよく分からず、日本全国で、その数は300とも400とも言われます。

今回、中央官庁の支援のもとに業界2団体と消費者団体が自律的に質の向上を図ろうという趣旨で、独立した団体を立ち上げて始めたものです。

私は、長年、日本人の海外留学にも、外国人の日本留学にも関わってきたので、こうなると、では、海外から日本への留学エージェントはどうか、ということが気になります。先週のブログ*2と、それを受けたfacebook*3での4月16〜18日の議論にも書いたように、海外の日本留学エージェントはあまりにも未成熟な点が多いのです。

もちろん、ほとんどは海外に拠点のある諸外国・地域のエージェントですから、日本からコントロールすることは極めて難しいというか、ほとんど不可能といえます。

ただし、もし、各国・地域のエージェント組織が連携できれば、それは可能になるはずです。世界的な留学エージェントの組織としてはFELCA(The Federation of Education and Language Consultant Associations)*4があり、その活動の活発化が一つには期待されるところです。前提は、それぞれの国・地域にエージェントの業界団体があり、国や自治体が、あるいは、業界が自律的にエージェントをコントロールできるということですが。

そして、日本国内的には、どうすべきなのか。

まず、海外のエージェントを最も活用している日本語学校が、エージェント利用に関する一定のガイドラインを設けて遵守することから始めなければならないのではないでしょうか。

しかし、そうは言っても、(財)日本語教育振興協会によれば、今年度4月期の日本語学校への留学生のビザの交付件数は10,450件で、昨年を3,000件近く下回っている状況なのです。質の良いエージェントの活用どころか、倒産の危機に直面している学校もあるのではないかと想像します。

……どうも、すべてが後手後手に回っているようですが、しかし、できることから手を付けていくしかないとも思います。ちょうど、日本では、海外留学エージェントの質の担保と消費者保護の趣旨で、J-CROSSが活動を始めたように。